国が大学生の本業である学業に介入し、大学にとって重要な教育スケジュール・カリキュラムに無理を強いてでもボランティアを募集しようとしている様子は、まるで戦時下の学徒出陣ではないか。本間氏は、組織委が売りにする“やりがい”も満たされない可能性が大きいと警鐘をならす。
「会場で熱気を分かち合えるのは、ほんの一握り。多くの人が、会場周辺で観客や関係者を案内する係や、手荷物検査をするセキュリティチェックなどに回されるでしょう。しかもボランティアが熱中症で命の危険にさらされる、非常に過酷な現場です。また、就職活動のときの自己PRとしても期待できません。とある大学の就職課では『52社のスポンサーに就職活動する際には必須』などと勧誘するそうです。しかし、11万人も参加するのですから、エントリーシートで『学生ボランティア』と書いていても当たり前すぎて評価されないでしょう。それこそ、就活の売りにしたいなら『被災地ボランティア』をすべきでしょう」(同)
学生を無償の労働力として動員
今から、先の見えない2年後の夏に行うボランティアの登録をさせるというのも悠長にすぎるだろう。低調な大学生のボランティア登録を懸念してか、「中学生・高校生枠」さえも用意されているのだ。
「18年3月末に発表されたのですが、中高生に対する教育の一環として、観客の誘導や各競技のボール拾いなどを行わせるというのです。1998年の長野冬季五輪では『オリンピック・パラリンピック一校一参加活動』という通達を県教育委員会が全小中高校に出したのです。これは、国旗製作、試合観戦などの要望でしたが、今回はそれがエスカレートしています。酷暑での入場待ちでいらついた観客とトラブルになる中高生の姿が目に浮かびます。また小学生は、ほぼ強制的に国旗製作、試合観戦させられることになるでしょう」(同)
この夏の酷暑の甲子園を「感動」ストーリーにして、見直しする動きすらない文部科学省では驚くにあたらないだろう。なお、ボランティアは労働法制の対象外だ。金儲けの亡者だけがはこびる酷暑の戦場で、大学生はおろか小中高生を守ってくれるものはないのだ。
「組織委に『ボランティアの責任者』は誰なのかと聞いても無回答です。そんな無責任な組織に子どもを預けることはできない。小中学生を持つ親はこの問題は他人事ではありません。さらに、今回の五輪で無償ボランティア11万人動員計画が成功すれば、これを『レガシー』と賞賛して、その後の政府のイベントは、次々に無償ボランティアが動員されるようになるでしょう。イベントごとに学生は無償の労働力として動員・酷使されるようになります」(同)
2020年の東京五輪のその先に待っているのは、学生さえもタダでコキ使うブラック国家なのだ。
(取材/文=小石川シンイチ)