サッカー東アジア杯直前、韓国代表の迷走〜元Jリーガーの若き新監督抜擢と再建の行方
決定力も乏しく、守備も安定しない。また、国内組とヨーロッパを中心に活躍する海外組の波長も合っているとは言い難く、チームの一体感には翳りが見える。ファンやメディアの辛辣な批判も増えており、一時期、ブラジルW杯への出場も危ぶまれていた。難なく最終予選を突破した日本代表とは、対照的な道を歩んでいる感が否めない。“アジアの虎”の威信をかけて、東アジアカップでは何がなんでも巻き返しを狙いたいはずである。
そんな逆境の中、韓国サッカー界の威信がひとりの男に託された。ホン・ミョンボ、44歳。現役時代は柏レイソルなどJリーグでも活躍し、指導者になった後は、ロンドン五輪で韓国を史上初の大会3位に導いた同国の若き名監督だ。
前任のチェ・ガンヒ監督は、ブラジルW杯出場を決めた6月に代表監督の座から退いた。12年11月、低迷に仰ぐ韓国代表を仕切り直すため、急遽代表監督に就いたチェ監督だったが、「W杯出場を決めるまで」と自ら期限を設定した公約通り、指揮官の座を後進に明け渡した。その重責=重席を担うことになったのが、“永遠のキャプテン”ことホン・ミョンボ新監督だ。
ホン監督は、公式インタビューで、代表監督のオファーを受けた理由についてこう語っている。
「これまで3回のオファーがありました。 1、2回目は、オリンピック代表監督を務めていた時。3回目は個人的な時間を過ごしていた時です。五輪を終えた後、ロシアで多くのことを学びました。同国のサッカークラブ、アンジ・マハチカラには11カ国の選手がいましたが、彼らを管理するのは容易ではなかった。それに比べると、韓国の選手たちは試合態度や練習に臨む姿勢、相手を尊重するところがある。再び彼らとサッカーができる機会があれば幸せだろうなとも思った。つまり、韓国の選手たちに心を動かされ、代表監督を受けてみようと決心したのです」
ホン監督はロンドン五輪後に韓国を離れ、恩師フース・ヒディング監督が指揮を執るロシアのアンジで指導者研修を受けていた。そこで、世界の強豪と戦う韓国人選手の姿を見ながら、固辞し続けてきた代表監督のオファーを承諾したというのだ。
●前評判高い、ホン監督への期待
ホン監督がJリーグでプレーしていた現役時代から親交がある、スポーツライターの慎武宏氏は言う。
「五輪後、ホン監督はしばらく『自由人』でいたいと話していました。しかし、代表チームに対する想いは、常に心の中にあったのでしょう。そもそも、韓国サッカーに対する想いが人一倍強い人です。代表監督には、就くべくして就いたと思います。2002年の日韓W杯では、選手としてキャプテンを務め、ベスト4進出という快挙も成し遂げました。最近は、指導者としての頭角を現しています。経歴的にも申し分ないでしょう」
過去にゴン中山こと中山雅史氏は、ホン監督が02年に日本で出版した自伝に、「(ホン監督は)韓国の象徴だったし、いつも俺を奮いたたせる存在だった」と推薦コメントを寄せている。たしかに、これまで韓国サッカー界の栄光の渦中には、常にホン監督の姿があった。そんな韓国サッカーの寵児・ホン監督には、はたしてどのような役割が期待されているのだろうか?
「ずばり、リーダーシップだと思います。一体感を喪失しつつある韓国代表をひとつにまとめ上げる力が期待されているのではないでしょうか。ホン監督のリーダーシップは、日本でも広く知られている。選手時代、柏レイソルでプレーしていた時は、韓国人としては初となるJリーグのチームキャプテンも務めていました。“決起集会”という名目で、チームメイト全員と焼肉を食べながら熱く語り合ったこともあった。それもホン監督の自腹です。本人は割り勘文化に馴染めなかったし、年長者だったからと謙遜していましたが(笑)。ともあれ、選手としても指導者としても、世界中を飛び回って培った経験があるから、コミュニケーションや人心把握能力は群を抜いていると思います」(慎氏)
●「いつでも懐の刀を抜く」
韓国サッカー界では、年齢における上下関係が厳しい。しかし、ホン監督はひとまわり以上も年が離れた選手たちに対して、丁寧な口調でコミュニケーションを図るという。さらに、ファンやメディアの批判にさらされる選手たちがいると、積極的なフォローも怠らない。ロンドン五輪直前には、選手たちにこんな言葉を投げかけたという。
「私はいつでも懐に刀を持っているつもりだ。もし、君たち(選手)を傷つける者がいれば、躊躇なくその刀を抜く。その代わり、君たちはチームのために命を差し出せ」
そんな、ホン監督の包容力と指導力を認め、ついていくと宣言する選手たちも少なくない。