毎月5日に神戸市灘区にある六代目山口組総本部で開催されている、同団体の定例会。12月は事始めが挙行されるために、定例会としては11月が1年間の締めとなる。その11月5日の会には、全国各地から直参と呼ばれる二次団体の親分衆が顔を揃えた。そうして集まった親分衆らに、4カ月に1回発行されている山口組の機関紙「山口組新報」の最新17号が配布された。
当サイトでもいくどか紹介してきた「山口組新報」。3年前の六代目山口組分裂以降、同紙の冒頭に寄稿された最高幹部らの文章では、六代目山口組を離脱した親分衆らに対して、辛辣な意見が綴られることが多かった。
しかし、7月に発行された16号の巻頭を飾った六代目山口組若頭補佐で三代目弘道会の竹内照明会長は、そうした問題に一切触れていなかった。それはまるで、山口組を揺るがすことになった分裂騒動は、すでに雌雄を決したと宣言しているかのようにも読みとれた(参考記事「六代目山口組機関紙「山口組新報」に異変あり!?」)。
だが今回、一面に登場した六代目山口組幹部である組織委員長の三代目織田組・髙野永次組長は、組織委員長という職にありながら山口組分裂を事前に関知できなかったことを悔やみつつ、離脱した親分衆らに再び辛辣な意見を述べているのだ。
「指導的立場にある者が謀反を起こしたわけですが、山口組の歴史で反逆者達の哀れな末路を見てきたはずなのに、何の学習能力もなかった(中略)。更におこがましくも勝手に山口組の名称を騙る謀反者達は風前の灯の状態にあります。それは歴史の必然でありますが、われわれは更に力を合わせてこの問題を解決しなければなりません」
六代目山口組・髙山清司若頭の社会復帰まで一年を切っている。髙野組織委員長の言葉は、それまでにこの分裂騒動に終止符を打っておかねばならないとする強い意思の表れなのかもしれない。
「山口組新報」は、毎号全8ページのタブロイド版となっており、2〜3ページ目には、山口組中興の祖である三代目山口組・田岡一雄組長のものを中心に、各法要の模様が記されていた。また、4ページには9月の北海道地震、7月の西日本豪雨に関する被害や組織としての支援状況などを直参組長が報告。さらに、別ページには分裂騒動からの3年を振り返った文章や、日本の伝統と任侠道との関連を掘り下げたコラムなどが掲載されている。
定番となった川柳、その秀逸作は?
さらにページをめくると、毎号定番となっている六代目山口組組員らが詠んだ俳句や川柳が掲載されている。
六代目山口組から離脱した神戸山口組の大御所と呼ばれる5人の親分衆に対して、「哀れかな 謀反を起こした 5人組」とストレートに批判した川柳もあれば、時世を詠んだ川柳「スマートフォン 指なめ妻に 怒られる」「なぜ怒る 早く帰って 来ただけで」といった、サラリーマン川柳にも通ずるユーモアや悲哀を帯びたものもあった。
そして最終ページには、「日本の世界遺産探索」と題して、岐阜県・白川郷の探訪記が掲載されるかたちで今回の「山口組新報」は終わるわけだが、今号はいつもにも増して直参の組長らが寄稿している印象が強かった。
そのなかで感じたことは、どの親分も文章がうまいのだ。そもそも抗争事件などで長期服役を余儀なくされた過去を持つことが多い親分衆らは、塀の中での務めで勉強や読書に勤しむ時間が多かったはず。その成果が文面を通して伝わってくるのだろう。
六代目山口組の若手組員にとっては、「山口組新報」を通して、直参組長らの文章に触れることができるだけでも、大きな刺激となるのではないだろうか。なんにしても、現在の六代目山口組を知る上で、「山口組新報」は第一級の資料といえることは間違いないだろう。
(文=沖田臥竜/作家)