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江川紹子の「事件ウオッチ」第224回

【袴田事件再審開始決定】再審無罪で一件落着ではない! 制度改善が必要な理由ー江川紹子の解説

文=江川紹子/ジャーナリスト
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袴田さん支援クラブ」HPより

 57年前に静岡県清水市(現・静岡市清水区)の味噌製造会社専務宅で一家4人が殺害された事件で死刑判決が確定していた袴田巌さんの再審請求で、東京高裁(大善文男裁判長、青沼潔裁判官、仁藤佳海裁判官)は再審開始を決定。検察が最高裁への特別抗告をしなかったことから、42年にわたる再審請求の闘いにようやく終止符が打たれ、裁判のやり直しが確定した。

 今回の高裁審理は、犯行に使われたとする「5点の衣類」に付着した血痕の色調に関する科学鑑定に争点が絞られていた。「5点の衣類」は事件から約1年2カ月後に、味噌タンクの中から出てきたものだが、生地は味噌の色に染まっていなかったうえ、付着していた血痕はすぐに血液と分かるほど赤みを帯びていた。弁護側は、これだけの期間みそに漬けられていれば、血痕は黒褐色に変色する、との実験結果を提出していたが、最高裁はそれについて科学的な裏付けを求めて高裁に審理を差し戻していたのだ。

 この差し戻し抗告審で弁護側は、血液の変化などに詳しい法医学者など専門家の実験と理論に基づいた鑑定結果を提出。変色のメカニズムを立証した。証人尋問も行われた。高裁はこれを評価し、再審開始決定の拠り所とした。

 検察も法医学者を証人に立てたが、今回の主要な争点は専門外の科学者だった。おそらく、検察側の主張に沿った証言をしてくれる専門家が見つからなかったのだろう。しかも、彼らの弁護側証人に対する反論は、「実験結果に基づく反論や具体的かつ化学的論拠に基づく反論ではなく、一般的、抽象的な反論にとどまっている」(決定より)ものだった。本来、検察はその時点で立ち止まり、自らの主張が正しいのかどうか、考え直すべきだったのではないか。

 検察側が行ったみそ漬け実験も、逆に弁護側の主張を裏付ける結果になった。検察は、血痕が付着した布入りのティーバッグを、みそ原料のほかに脱酸素剤と共に真空パックに入れるなど、現実の味噌タンクの状況とはかけ離れた実験まで行って、条件によっては赤みが残りうるとの立証に努めた。さらに、実験結果を写真撮影する際には、赤みが強調されるよう白熱球の撮影用ライトも使った。

 しかし、大善裁判長と青沼裁判官は、実験が行われた静岡地検まで出向いて、自分の目で血痕の色調を確かめていた。決定は、確信を持って次のように断じている。
「検察官が実施した実験の結果によって、むしろ、約1年2カ月みそ漬けにされた血痕には赤みが残らないことが一層明らかになった」

 高裁決定は、最高裁が出した“宿題”に完璧な答えを出しており、刑事司法の専門家からは、決定直後から「検察は特別抗告はできないだろう」との声があがった。

 ところがその後、少なからぬメディアが、検察は特別抗告する方針、と報道した。組織内では、そういう意見がそれなりに大きかったことがうかがえる。今回の袴田事件高裁決定は、「5点の衣類」について、捜査機関が証拠を捏造した可能性に触れていたことから、検察組織内では受け入れることへの反発も強かったのではないか。

 それでも、最終的に特別抗告を断念したのは、まっとうな判断だった。無理矢理に特別抗告しても、高裁決定が覆る可能性はまるでないうえ、検察が再審を妨害しているとの批判が高まるのは得策ではない、という打算も働いたのだろう。

 ともあれ、これ以上再審開始が先送りにならなかったことに、心の底から安堵した。かくなるうえは、一日も早くやり直しの裁判を行い、袴田さんを「死刑囚」という立場から解放するよう、法曹三者は力を尽くしてほしい。

なぜ現行制度は無駄に時間を要するのかーー検察と裁判所の“共犯関係”

 ただ、再審無罪になれば、それで一件落着というわけではない。そもそも、有罪とするには疑問が多いこの事件で、袴田さんの無罪が決まるのになぜこんなにも時間がかかったのか。

 第1次再審請求は1981年4月20日に提出され、2008年3月24日まで、27年間もかかって最高裁の特別抗告棄却で終わった。今回確定したのは第2次再審請求だが、これも08年4月25日の申し立てから、すでに15年が経過。静岡地裁が再審開始を決定してから、もう9年が経っている。

 遅すぎる人権救済は、救済とは呼べない。遅すぎる正義は、もはや不正義と言えよう。このような事態がなぜ起きたのか、検証したうえで、制度的な欠陥は是正しなければならない。司法がやり直しの裁判を進めるのとは別に、国会などに検証のための委員会を作り、制度の見直しまでつなげる必要があろう。

 いくつもの再審請求事件を見てきて、私自身が無駄に時間を要する原因と考える要因は何点かある。その一つが、検察官による抗告(不服申立て)を許していることだ。

 袴田事件でも、検察の抗告ができなければ、遅くとも静岡地裁で再審開始決定が出た後、すぐに再審を始められた。そうすれば、袴田さんはとっくに司法手続きから解放されていただろう。

 再審は、もっぱら有罪が確定した冤罪被害者を救済するための制度だ。無罪が確定した人を再度裁いて有罪にする、という再審は許されていない。そうであれば、再審請求審で3人の裁判官が合議のうえ、有罪の確定判決に疑問を見出した場合には、なるべく早く裁判をやり直すのが、制度の趣旨にかなっているのではないか。

 検察も、当初はそれを理解していたのだろう、かつては再審請求審での特別抗告には謙抑的だった。現行刑事訴訟法で裁かれた殺人事件で最初の再審無罪事件となった「弘前大学教授夫人殺し事件」では、仙台高裁が初めての再審開始決定を出した後、検察は抗告せずに再審が始まった。

 四大死刑再審(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)でも、検察が特別抗告をしたのは免田事件だけだ。同事件では福岡高裁で初めて再審開始決定が出ており、検察にとっては、特別抗告は初めての不服申立てだった。

 死者に対して再審が開始される最初の事例となった「徳島ラジオ商殺し事件」でも、徳島地裁が再審開始決定を出し、検察の抗告を高松高裁が退けた後、検察は特別抗告せず、再審が行われている。

 ところが最近の検察は、DNA鑑定で犯人は別人と判明した事件などを除き、再審開始決定に対して最高裁まで争い続けることが多い。地裁、高裁がたて続けに再審開始決定を出したケースでも、平然と特別抗告を行う。明らかに確定判決と矛盾する証拠を検察側が保存していた熊本の「松橋事件」ですら、検察は特別抗告し、最後まで再審開始に抵抗した。先月、大津地裁に続いて大阪高裁が再審開始決定を出した「日野町事件」でも、検察は特別抗告して争っている。

 検察が、このような対応をするのは、裁判所にも責任がある。過去の裁判所の誤った判断を正し、人権を救済するための再審の手続きに、裁判所は必ずしも積極的ではないからだ。消極的な裁判官のもとに配点されると、手続きが“塩漬け”にされ、まったく動かないこともある。弁護側がいくら捜査機関のもとにある証拠の開示を求めても、検察側に開示の勧告などは望めない。ただただ無駄に時間が過ぎることになる。

 再審に消極的な裁判所が、検察の不服申立てを受け入れ、開始決定を取り消す例もある。袴田事件と同じく、死刑囚が再審を申し立てていた名張毒ぶどう酒事件は、第7次再審で再審開始決定が出されたが、検察の抗告を受けた名古屋高裁が、捜査段階の自白調書に引きずられ、再審を取り消した。鹿児島地裁、福岡高裁宮崎支部と続けて再審開始決定が出された「大崎事件」では、何と最高裁が決定を破棄し、高裁に差し戻しもせずに、再審不開始を決めてしまった。弁護側に反論する機会さえ与えなかった最高裁の対応は、大きな衝撃を与えた。一方、袴田事件では、最高裁は自判して再審開始もできたのに、あえて課題を作って東京高裁に差し戻した。

求められる再審制度の検証ーー真の人権救済のための法改正を

 こうした検察と裁判所の“共犯関係”は、再審による人権救済を妨げ、再審の制度をひどく歪んだものにしている。

 日本の再審の制度は、大きく2段階に分かれている。第一段階が再審を行うかどうかを決める再審請求審。そこで再審が認められれば、第2段階に入る。このやり直し裁判において、有罪か無罪かが決まる。検察は、ここで有罪の立証ができるし、無罪になった場合、控訴や上告もできる。

 ところが現実には、再審請求審が事実上、有罪無罪を決める主戦場になり、検察は再審請求審では前述のように、とことん確定有罪判決を死守しようとする。その一方で、ひとたび再審が開始された後は、検察の主張はかなりあっさりしている。

 先の「松橋事件」の再審では、検察側は冒頭陳述で「有罪であるとの新たな立証は行わない」と述べ、論告でも「裁判所の適切な判断を求める」と述べるに留まって、求刑を行わなかった。滋賀県の病院で入院患者の人工呼吸器を外したとして殺人罪で実刑判決が確定した元看護助手が雪冤を訴えていた事件でも、検察は再審請求審では最高裁まで争ったが、再審では求刑を行わず、「裁判所の適切な判断を求める」とした。いずれも、もちろん控訴はしていない。

 袴田事件でも、検察は再審公判で有罪立証を見送る方向で検討している、との報道も一部で流れている。

 冤罪の被害者のできるだけ早い救済のためには、検察が無駄に争うことなく再審を終わらせることが望ましいのは言うまでもない。袴田事件も、争点は論議し尽くされており、検察は早期の裁判終了に協力してほしいと思う。

 ただ、再審を行うかどうかを決めるだけの再審請求審を、事実上の有罪無罪を決する場として、徹底的に争い、その結果やり直しの裁判は無罪を追認する場になっている、というのは、やはりおかしいのではないか。

 しかも、再審請求審は公開が義務づけられていないため、ほとんどが非公開で行われる。事実上、有罪無罪を決める重要な裁判が、非公開というのは、憲法の裁判公開の原則に照らしても問題だと思う。

 このほかにも、現在の再審制度には問題点が指摘されている。袴田事件では、死刑という究極の刑罰を科した判決に誤りがあり、それを正すのに40年以上もの時間がかかった。必ずやしっかりと検証し、制度の改善に結びつけなければならない。

(江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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