今回はそんな真山氏に、
「震災から3年たった被災地、そして住民の置かれた現状」
「被災地から見た復興をめぐる政策の問題点、復興が遅れる背景」
「震災・復興を正しく報じないメディアの罪」
などについて聞いた。
――真山さんは、世間的には経済小説作家というイメージが強いと思いますが、なぜ今回、東日本大震災をテーマとする小説を書かれたのでしょうか?
それとともに、「どうして私が生き残ったのか。生き残った人と亡くなった人の差はなんだったのか」と考え、後ろめたさみたいな思いを抱えるようになりました。当時私は小説家になるために新聞社を辞めてフリーライターをしていたのですが、これは神様が小説家になれと言っているのだと結論付けました。
この後ろめたさをいずれ必ず小説にしようと思いつつデビューしたわけですが、出版社に「震災体験を書きたい」と話しても、興味を示すところはなかったですね。そうすると次のミッションは、書きたいことを自由に書ける作家になることと、震災の小説で他人を説得できるようなテーマを持つしかないと思ったわけです。毎年、阪神・淡路大震災が起こった1月17日が来ると「また今年も」と思っていたのですが、書かないうちに東日本大震災が来てしまいました。当時、『コラプティオ』という政治と原発輸出がテーマの連載小説の最終回を書いていました。地震後の原発事故を受けて、単行本化するにあたって原稿用紙500枚くらいのたいへんな加筆修正をしました。その時、巡り合わせみたいなものを再び感じました。
――現在、セールス的な理由で東日本大震災をテーマにしたものは出版化しにくいといわれていますが、本書はすんなり企画が通ったのですか?
真山 今回は誰も止めなかったですね。実際に体験している者だからこそ書けるし、極端なことをいうと、体験者は同じ体験者を叱ることもできるという妙な文化も日本にはあります。ですから、自分だけにしか書けないものを書くのが、長い間書けなかった自分に対する答えでもあります。