取締役会に食い潰される朝日新聞の「病巣」 ジャーナリズムよりも「己の利益」優先
記者会見のセッティングも、素人かと思われるほどお粗末だった。本当に謝罪する気持ちがあるのならば、他紙や夜のテレビニュースが締め切りに余裕をもって対応できるようにもっと早い時間帯に実施すべきだが、開始したのは夜7時30分と、そうした配慮にも欠けた。一番お粗末だったのが、責任をとって編集担当という役職を解任される杉浦信之氏が登壇し、今後の対応などを説明していた点だ。解任される人間が今後のことを説明しても、説得性や客観性に欠ける。広報対応の基本ができておらず、広報やリスクマネジメントを担当する役員や、社長を補佐する立場にある社長室担当取締役の大きなしくじりといえ、普通の会社ならば更迭されて当然だ。
また、木村社長の記者会見での発言は、言論機関としてもお粗末だった。ジャーナリスト・池上彰氏のコラム掲載見合わせ問題に関して、「私は感想を漏らしましたが、判断したのは杉浦(取締役編集担当)」などと弁明したが、この発言は一部で「では、社長のあなたは見て見ぬふりをしていたのですか」と失笑を買っている。経営トップの無責任発言として、「判断したのは杉浦」というセリフは今年の流行語大賞にノミネートされてもおかしくない。
●社長室や広報部の落ち度
さらに、木村社長は「言論封殺という、私にとっては思わぬ批判を受けた」と語っていたが、多様な意見を尊重する言論の自由を最も大切にしてきた新聞社のトップだからこそ、この「思わぬ」という言葉は絶対に使ってはいけなかった。池上氏のコラムを、朝日の姿勢を批判したとの理由で掲載しなかったというのは、まさしく「言論封殺」であり、どのような批判を浴びるかを想像もできないような人物は新聞社のトップに不適任である。
木村社長が自らの判断や感覚でそのようなことを語ったのだとすれば、新聞社社長としての資質が問われる。一般的に記者会見では、事前に社長の発言はチェックされ、想定問答集などもつくられるが、事前の準備が足りずにチェックが甘かったのではないか。これも社長を補佐する社長室や広報部の落ち度といえるだろう。
秋山耿太郎社長時代は、経営と編集の分離を謳い、取締役会に編集担当を置かず日常の編集業務に経営陣が口を挟まない体制だったが、今年6月の株主総会以降、編集担当を設置し、経営と編集の融合が始まった。このコーポレートガバナンスの変更により、木村社長らの意向が日常的に編集にも反映されるようになり、その象徴的な記事が従軍慰安婦報道の検証記事である。このガバナンスの変更も、今回の一連の不祥事の背景にあると筆者は見ている。
木村社長は、朝日という株式会社の社長としても、言論機関のトップとしても、両面で経営的かつ道義的な責任は非常に重いが、取締役にも民法上の「善管注意義務」があり、予想できたリスクを顕在化させないための責務があったはずだ。また、木村社長の後継をめぐる暗闘が取締役会内で起こっているやに聞くが、これも、「会社の利益を犠牲にして自己の利益を求めている」行為と見られても仕方なく、こういう御仁には取締役を務める資格はない。このままでは、株式会社朝日新聞社の取締役会という「穀潰し集団」に「朝日新聞」というブランドが潰されてしまうことになるかもしれない。
(文=井上久男/ジャーナリスト)