そのパタヤからほど近いシラチャー周辺は、1991年に国際港としてレムチャバン港が開港した頃から、日本企業を中心とする海外メーカーの工業団地が続々とつくられていった。近年では、11年のアユタヤでの大洪水が発生した後、洪水の可能性が低いシラチャー周辺への日本企業の移転が大きく進んだ。また12年には、中国での反日デモが大規模化するなど“チャイナリスク”が高まったことから、中国からタイへ移転する企業が多数あった。
結果、シラチャー周辺には1000社以上の日本を含む各国メーカーが工場を構えるまでになった。もともとは小さな漁村にすぎなかったが、今ではおよそ7000人もの日本人駐在員が生活しているといわれ、タイにおける日本人居住者数で首都バンコクに次ぐ第2位の規模となっており、この日本人需要を当て込んで不動産価格が高騰している。
現地に行ってみると、非常に小さな規模で道路も十分に整備されていないような町に日本語の看板が並ぶ商店街があり、不思議な印象を受ける。商店街のビルは相当古いが、その中に日本人向けの飲食店やマッサージ店、スナックのような夜の店が多く入っている。さらに、学習塾や日本語学校なども混在している。小さな町に日本企業と駐在員が急増した結果、つくり上げられた日本人街であることがわかる。
シラチャー中心部の高級コンドミニアムは、どこも日本人居住者で埋まっており、現地の不動産業者に尋ねても、中心部で空室を見つけるのは難しいという。現地では急増する日本人需要に合わせ、20以上のコンドミニアム、総戸数1万戸以上がこれから建築される計画となっているのだが、計画段階のコンドミニアムすら、ほぼ完売してしまっていて入手できない状況という。
(写真の物件は、記事中の物件とは関係がありません)
このためシラチャー周辺では、コンドミニアムを建てれば日本人向けに貸し出して大きな利益を得られると考えられ、続々とコンドミニアム建設の計画が立ち上がっており、さらなる土地価格の高騰を引き起こしている。