このようにして日本では、曲がりなりにも報道機関に対して、その主な監視・批判の対象である政府・与党が日常的にコントロールを行い、場合によってはダメ出しするルートが確保されているのだ。そしてその結果、今回のテレ朝のように、もはや権力に対する抵抗力を失ってしまったように見える奇怪な報道機関が出現することになるのだ。とはいえ、テレ朝ばかりを責めるのは、かわいそうだろう。先に述べたように、放送局の中には首相を何十分間も情報番組に出演させ、勝手なことをしゃべらせて平然としている確信犯的御用メディアまでが存在している現実がある。
自民党が番組に干渉することの違法性
だが、放送の公平・公正とは、本当にそれだけのものなのだろうか。忘れてはならないのは、放送法がこの第4条の前の第3条で「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」と定めていることである。この規定を踏まえれば、放送の公平・公正とは、単に放送局がさまざまな政治勢力を公平に扱うこと(内容の公平性)のみを意味するのではなく、むしろその前提として、政治・社会権力が放送局に対して非正規のルートでの干渉や規制を行わないこと(構造の公正性)が求められていると見るべきだろう。
さらに、物議を醸した13年4月の籾井勝人NHK会長の「一つの番組内で政治的公平を」発言と、それに対する批判が顕在化させたように、内容の公平性は「放送される番組全体を通して判断する」というのが通説であり、政府もそのように解釈してきたのである。
こうして見てくると、自民党による一連の「要請」や「取材拒否」が、およそ根拠のない、権力の横暴であることは明らかだろう。確かに“古賀の乱”には、元官僚のエリート臭が漂って辟易する面もある。それでも氏の身を挺した暴露と問いかけに放送局・放送業界・政府は真正面から答える義務がある。また、放送倫理検証委員会は、古賀氏の告発、そして自民党の対テレ朝「要請書」問題について調査し、放送界と権力との間にどのような緊張関係、あるいはなれ合い関係が存在しているのかを、われわれ視聴者の前に示すべきではないだろうか。
本稿執筆中の4月14日夜、「自民党情報通信戦略調査会が、報道ステーション問題でテレ朝から近く聴取を行う予定」というニュースが伝えられている。今回は、自民党は放送法4条が定める「報道は事実をまげないですること」との規定を持ち出して介入しているが、このような干渉を繰り返すことこそ、放送法の主旨に反しているのではないだろうか。
「政権与党の傲り、ここに極まれり」というほかない。
(文=大石泰彦/青山学院大学法学部教授)