市場に出回ったマネーは、こうした金融機関の事情とあわせて、不動産に集まることが容易に想像される。そして怒涛のように流れ込む不動産向けマネーが日本経済にもたらす影響は、計りしれないものがある。
なぜなら、日本の不動産の未来は決して明るいものではないからだ。日本には積極的に不動産を買うだけの理由が存在しない。これまでの「カンフル剤」としての各種政策は一定の効果を生み出したものの、不動産に大量のマネーを向かわせる副作用はあまりに激烈だ。
すでに東京都心部の不動産の投資利回り(キャップレート)は4%前後まで低下し、マーケットリスクに対応できるリスクプレミアムは極限まで縮小している。ところが、肝心のオフィスビルやマンションの賃料水準は期待したほど上昇してこないことが明らかになりつつある。
日本国内には消費を喚起する需要がもはやほとんど残されていないのと同様に、不動産に対する需要も先細りとなっている。不動産は「ひと」や「もの」が集まってこそ輝く存在だ。しかし、これからの日本で「ひと」は減少かつ高齢化し、大量の「もの」はすでに飽和してあらたな需要を期待することはできない。需要のないところにどんなにハコをこしらえたところで、不動産という商売は成り立たない。
この行為はもはやキャパのなくなったコップに大量の水を注ぎ込むことに等しい。コップからあふれた水は行き場を失って、日本経済というテーブルを汚すことになるだろう。水に濡れたテーブルクロスをかけ替えようにも、こぼれた水をふきとろうにも、替えのクロスはなく、水をふき取る布巾にも事欠くのが現代日本の姿である。
平成バブル当時と異なり、「度胸のある」者が必ず勝利を収める時代ではなくなった。ファンドバブル時のような黒船効果も以前ほど期待が持てなくなった。日本が日本のためにお金を使う先は急速に収縮を始めている。実需なき投資は投資としての「出口」を見えにくくする。視界がどんどん悪くなっていく日本丸の舵取りは、腕っぷしがよく声のでかい航海士だけでは乗り切れない。今こそもう一度羅針盤をじっくり見て航海を続けたいものだ。
(文=牧野知弘/オラガ総研代表取締役)