東京の新宿・靖国通りの雑踏を曲がって歌舞伎町一番街に足を踏み入れたとたん、周囲の町並みはゴーストタウンのように寂しくなります。昼間からシャッターが下りる店舗に、まばらな人通り。昨年の新型コロナ禍で名指しされたことが大きいのでしょうか、新宿歌舞伎町は緊急事態宣言下では、あたかも入り込んではいけない街区に指定されたかのようです。
そのような状況下でも営業を続けている飲食店のひとつに『俺のイタリアン歌舞伎町』があります。そして本格イタリアンが激安価格で食べられるお店として一世を風靡したこの『俺のイタリアン』のお店に入ると、店舗のオペレーションが変わったことに気づかされます。
以前と違い、席にはメニューが置いてありません。代わりにQRコードが置かれていて、それをスマホで読み取るとタッチパネル型のオーダーページが開きます。メイン・パスタ・飲み物などのタブごとに自分が食べたいメニューを選んで注文ボタンを押すと、その情報が厨房に伝わります。店内での顧客とギャルソンとのやり取りが完全にデジタルに置き換わっているのです。
このメニューレスの飲食店の運営システムは2019年頃に中国の上海で広まったようですが、日本にはこれまではなじみのなかった業務システムだったように思います。日本ではむしろタッチパネル型のオーダーシステムのほうが「新しさ」をアピールでき、導入する飲食チェーンに好まれていたようです。
しかし冷静に考えれば、QRコードだけ用意するこの仕組みは業務のデジタルトランスフォーメーション(DX)として理にかなっています。新型コロナ下ではタッチパネルは感染リスクを感じさせて邪魔だということもあるのですが、それ以前にタッチパネル機器を全席に導入するコストやメンテナンスコストを考えると、QRコード方式のほうがはるかにローコストで店舗運営ができそうです。
「俺のイタリアン」の店舗運営を見ていると、同じくコロナ下で始めたデリバリーサービスもDXの恩恵を大きく受けているサービスです。奇しくも同じタイミングで日本全国に広がったウーバーイーツのインフラをそのまま活用できることで、こちらもローコストでデリバリー事業に進出することができたことになります。
さて、新型コロナが引き金となって、それまで遅々として進まない感があった日本企業のDXが、2020年を境に急激に進み始めています。それまで「リモートワークなど無理だ」と言い続けていた企業で、強制的にリモートを導入せざるをえなくなった結果、当たり前のようにZoom会議が開催されるような変化がおきました。今回の記事では、このDXが日本企業において、これからどのように拡大していきそうなのかについて考えてみたいと思います。
スマホ化
そもそもDXとは、それまでのIT化と何が違うのでしょうか。3つのキーワードで捉えてみることができます。ひとつめのキーワードはスマホ化です。
メルカリが急速に台頭するようになったきっかけは、このスマホ化が重要でした。それまで日本では身の回りのものを売り払うためのサービスではヤフオクがメジャーな存在でした。そして古い経営戦略理論では、あとからメルカリのような類似サービスを立ち上げても先に大きくなったヤフオクにつぶされてしまうものだと考えられていました。
にもかかわらずメルカリが成功したのは、スマホで出品から取引完了までを簡単に完結できるようにしたことでした。パソコン取引が前提だったヤフオクと違って、メルカリの出品は簡単で、それが若いスマホ利用者層にウケて急速に勢力を逆転したのです。
顧客はスマホを持ち歩いているということを前提に考えて業務を変えた例は、ほかにもあります。航空業界ではそれまで機内の座席に小型の液晶パネルが置かれていて、乗客はそれで機内の映画や音楽サービスを楽しんでいたのですが、アメリカン航空は他の航空会社に先駆けて液晶設備を廃止しました。顧客は機内でスマホを眺めているわけなので、映画も音楽配信もスマホ経由で行ったほうがローコストになるわけです。
外部コストに着目
DXのキーワードの2つめは、外部コストに目を向けることです。ここが実はIT化とDXのわかりやすい違いです。日本企業でのIT化は、これまでは主にコスト削減の目的で発展してきました。たとえばそれまで紙で行われていた業務をパソコン業務に置き換えるようなやり方です。
そのコスト削減のやり方にはIT化以外に、コストを外部コストにしてしまうという別のやり方があります。たとえば顧客を行列に並ばせるのは、そのわかりやすい実例です。1時間も行列で待つのは顧客にとっては苦痛ですが、企業にとってはコストにならない。むしろ1人の顧客が注文を終えたら次がすぐに来るという意味で行列は生産的です。
コールセンターで長い時間顧客を待たせるのも外部コスト化です。待たせることで自分で解決できるような問題をかかえた顧客はいなくなってくれるので、企業にとってはさらに問題が減ります。余計にかかるのは顧客の時間という外部のコストだけなのです。
DXの成功例をみると、このようにして膨れ上がった外部コストをデジタルによってなくすことで、コストではなく顧客の不満を減らして成功する例がみられます。
わかりやすい例が人気回転寿司チェーンのスマホ予約です。あきんどスシローやくら寿司、はま寿司といった人気回転寿司チェーンは、夕食の時間になると待合室が顧客でいっぱいになり、予約チケットも1時間待ちを超えることが当たり前の状況になります。
そこで各社ともにスマホ予約を導入したのですが、その結果、顧客の不満が劇的に解消されるようになりました。スマホで先に予約して、時間が近づいてからお店に行けばいいので、待ち時間が短くなります。その結果、店内の待合室で待つ顧客の組数も減りますから、待合室が殺気立つこともなくなります。
コロナ下で地味に役立っているのが、同じスマホ予約でも持ち帰りメニューの予約です。くら寿司を例にとると、持ち帰りメニューはスマホで、店内でタッチパネルで注文するのと同じように一皿単位で注文が可能です。その持ち帰り時間は10分単位で予約可能です。
そして、あらかじめ昼間のうちに注文をすれば、比較的どの時間帯でも持ち帰りメニューの予約ができます。お店に出向いて注文しなければいけなかったり、テイクアウトの場合、お店が決めたセット以外は用意してもらえなかった時代と比較すると、この持ち帰りの仕方はとてもDX的だと言えると思います。
ちなみに同じくら寿司で、夜のピークタイムに予約しようとすると、もうその時間帯は他の予約で埋まっていて注文ができないようになっています。これは実は持ち帰りを含めた店舗オペレーションのキャパシティが顧客にとっても見える化されていることになります。混雑している時間帯に思いついて寿司を注文しようとして失敗した顧客が、その混雑状況から学んで、次に注文する際にはもう少し余裕をもって注文をするといったフィードバックループとしてもDXが役立っています。
新しい便利さ
DX化の3番目のキーワードが、新しい便利さです。これまで顧客から見て「あったらいいな」と思うサービスを、デジタルの力を使うことによって可能にする。それが成功するDXの3番目の共通点です。
プロ野球の北海道日本ハムファイターズは、チケット購入の面でDX化を成功させました。スマホをつかって気楽にプロ野球の観戦チケットが購入できるのはファンにとって嬉しいことですが、なかには急に仕事でいけなくなるというファンも当然出てきます。
日本ハムの場合、こういったチケットをリセールするチケットストリートというサービスを球団公認のサービスとして利用できるようにしました。チケットは試合当日、試合開始直前まで売買可能です。チケットストリートでは購入金額での取引を推奨しています。もし高額転売の問題が起きたら球団とチケットストリートで連携して対応する体制をとっています。
行けなくなったチケットの転売を、これまでのように違法なダフ屋が介在する仕組みではファンも不安ですし、場合によっては観戦できずに料金だけ支払って不満が残ることになっていました。そこを球団が公認のリセールルートをつくることで顧客の不満をDXでやわらげた。よい実例だと思います。
私が個人的によく使っているものに、ユニクロやジーユーの在庫検索サービスがあります。一度購入して気に入ったアイテムの色違いを購入する場合などに、オンラインストアで検索するともう売り切れているというケースがよくあります。ユニクロの傾向として、店舗よりも先にオンラインストアで売り切れるケースはよくあるようです。
逆に言えば店舗に探しに行けば在庫がある可能性があるのですが、出かけてみて店舗でも売切れであれば無駄足になります。そこでユニクロやジーユーではスマホのオンラインストア経由で、各店舗の直近の在庫状況が顧客にも見えるようになっています。あくまでリアルタイムではなく少し前の在庫状況だという断り書きはありますが、在庫がありそうだという情報がわかったうえでお店に出かけるというのは、顧客にとってはストレスの少ないサービスです。
百貨店業界では地方百貨店を中心に閉店の動きが増加しています。一方で地方にも百貨店で買い物をしたいという顧客が一定数存在しています。三越伊勢丹では地方都市ではコンパクトな規模のサテライト店舗を出店しているケースが増えています。そのサテライト店で、東京の旗艦店の商品の購入が可能になっています。これもDXによる新サービスの例です。
この「あったらいいな」という切り口は、これからDXで一番発展する可能性がある切り口です。あったらいいなというのは裏返せば「これまではできなかった」ことを意味する場合が多いのですが、それが技術の進化で発展を始めています。AI、ドローン、3Dプリンタといった新しい技術によるDXは、これからどんどん進化するといえば、わかりやすいのではないでしょうか。
たとえば低農薬農法の分野では、ドローンと画像認識AIを組み合わせて、作物の虫食い部分だけに農薬を撒くことで全体の農薬使用量を減らす試みが始まっています。このようにこれまでは「できない」と思っていたことが、進化する新しい道具を用いることで「できるようになる」というケースは増えているのです。
あとから振り返れば「新型コロナがきっかけで日本のDXは大きく進んだ」と言われるようになるのでしょう。そのきっかけはともかく、今、日本企業のDXが大きく動き始めていることは間違いないと思います。
(文=鈴木貴博/百年コンサルティング代表取締役)