ネット上に「ビル・ゲイツの陰謀論」という噂が流れています。それ自体は荒唐無稽な話です。コロナ禍が起きる前の2015年にビル・ゲイツは世界に呼びかけて「これから起きるであろうパンデミックに備える必要がある」と警告し、会議を招集し、パンデミックが発生して世界に混乱をもたらすケースに基づいて、各方面の専門家が世界はどう行動すべきかについて意見を交わしました。その後でコロナ禍が起きたことで、
「ビル・ゲイツはCOVID-19の存在をあらかじめ知っていたのではないか?」
という陰謀論の噂が広まったのです。
陰謀論者はこのような話が大好きで、ワクチン陰謀論は古くは「インフルエンザワクチンは人類の数を減らすための陰謀でばらまかれた」といった話が主流でした。経済評論家の立場でみれば、こういった話が荒唐無稽なのは、人類の数が減れば世界経済が縮小するからです。もし世界をあやつる陰の支配者とやらがいて、世界中の労働者からさまざまな陰謀でお金を巻き上げているとすれば、支配する世界人口は多ければ多いほうがいい。
ということで、従来の考え方であればビル・ゲイツの陰謀論はこれで終わりということになるのですが、今回は読者の皆さんと一緒に考えてみたいことがあります。
「もしビル・ゲイツと仲間たちがコロナ禍のずっと前からパンデミックが起きる世界について深く研究をしていたとしたら、コロナ禍でどのような投資をするだろうか?」
という話です。
マイクロソフトによる巨額買収
そしてこの話、今年1月に飛び込んできたあるニュースにつながります。それは、マイクロソフトによる過去最高の8兆円買収の話です。マイクロソフトは1月17日、オンラインゲーム大手のアクティビジョン・ブリザードを687億ドル(約7兆8700億円)で買収すると発表しました。アクティビジョン・ブリザード社は、世界に10本ある「億ゲー」と呼ばれる月間ユーザー数1億人超えのゲームタイトルのひとつ「コール オブ デューティ」を有し、それ以外のタイトルを含めて合計で月間4億人のゲームユーザーを抱えているゲーム会社です。
なぜコロナ禍の最中に、マイクロソフトがアクティビジョン・ブリザードを買収したのか? を考えるための出発点は「ウィズコロナ経済で何が起きたか?」から始まります。
2020年から始まってすでに2年にわたるコロナ禍で世界経済は大いに傷つきました。多くの事業者に壊滅的な打撃があった一方で、この間、世界のIT株が上昇していることが知られています。その理由はDX(デジタルトランスフォーメーション)です。
コロナ禍でもなんとか生き残ろうと各企業はリモートワークやデリバリーサービスに力点を置き、オンライン会議やデジタル決済、遠隔監視システムなどをつぎつぎと導入していきました。それまでIT企業が一生懸命、企業に売り込んできたのにさほど普及してこなかった「オンライン会議」が、コロナ禍がおきたとたんに新しい日常では働き方の主流になりました。
要するに、わかったことは「食わず嫌いだったITソリューションを使ってみたら便利だと世界中が気がついた」ということです。その結果、DXは20年のビジネス界の流行語となり、グーグル、アマゾン、フェイスブック、ネットフリックスなどIT企業の株価は軒並み上昇しました。
そして当然のことですがビル・ゲイツと仲間たちは、あれだけパンデミックの危機について議論をしてきたわけですから、「パンデミックが起きれば世界中の企業のDX化が一気に進むだろう」ということは、18年頃からすでに未来シナリオとして織り込んでいたと考えてもおかしくはないでしょう。
DX後に注目すべきはメタバース
そこで、この話は「IT企業がDX後に注目すべきはメタバース」というストーリーにつながるのです。メタバースというのは、現実世界とは別の生活を送ることができる仮想空間のことです。自分とは違う人格やキャラとして、この世界とはまるで違う仮想世界で暮らす世界。そこで友人がたくさんでき、おそらく敵もたくさんいて、現実世界よりもずっとエキサイティングな日々を送ることができる仮想空間のことです。
メタバースは2000年頃から話題となり、セカンドライフをはじめとするさまざまな企業がメタバース事業に投資をしてきたのですが、これまではハードウェアの性能が追いつかずにそれほど盛り上がることはありませんでした。この流れが変わってきたのが2010年代の中盤で、特にGPU性能の進化とVR用のヘッドマウントディスプレイの進化は画期的な転換点でした。
フェイスブックは14年にヘッドマウントディスプレイ分野で最も注目されたベンチャー企業のオキュラスVRを買収し、メタバース事業への足掛かりを手に入れました。安価で没入感に優れたヘッドマウントディスプレイの登場は、メタバース時代の本格到来を予感させました。そしてフェイスブックは21年8月にホライゾン・ワークルームズというビジネス版メタバースのβ版を公開します。さらには社名をメタ・プラットフォームズへと改名することでメタバースプラットフォーム事業への進出をアピールします。
この一連のフェイスブック(メタ)の戦略に対抗して、強烈な一撃を与えたのが、先ほどお話ししたマイクロソフトによるアクティビジョン・ブリザード社の買収です。
マイクロソフトが今回の買収で手に入れたものは3つあります。
1. 「コール オブ デューティ」をはじめとするアクティビジョン・ブリザードの人気ゲームタイトル
2. 月間4億人といわれる同社のオンラインゲームユーザー
3. エンジニアを中心とした約1万人のオンラインゲーム開発人材
マイクロソフトは21年11月に「Mesh for Teams」というメタバースツールを発表しています。これはZoomに対抗するマイクロソフトのビデオ会議ツールTeamsをメタバース対応させたものです。
メタバース競争の鍵を握るオンラインゲーム会社
ウェブ上にはコンサルティング業界最大手のアクセンチュアがMesh for Teamsを用いて研修を行う様子が動画で公開されています。研修の参加者が自分のアバターで仮想空間の研修ルームに集まり、そこで講義を聞いたり、グループでディスカッションをしたりするのですが、それが仮想空間とは思えない現実感とともに実現できています。
私もコンサルティング業界に長くいるのでわかるのですが、グローバルコンサルティングファームにおいては、社員の研修投資に非常に多額の予算がかけられます。ただ、わざわざ海外の研修所に世界中から集まり、1週間ほどカンヅメになって研修を受けるのは、日々忙しいコンサルタントにとっても結構な負担になります。それが仮想空間で一瞬の移動で実現できるのであれば、確かに働き方改革としては画期的な話です。
そもそもZoom会議は味気ないものですから、メタバースのほうがいいということになれば、この先、普通の会社でもミーティングや打ち合わせ、製品開発からセールスまでリアルなビジネスシーンのかなりの部分がメタバースに移行する可能性は十分にあります。アバターを通じて副業の形でアフター5に別の会社で仕事をする人も出現するでしょう。
同時に今、SNSが担っている個々人のソーシャルネットワーキングも新たに出現するメタバースに移行するはずです。そうなるとメタバースの中にはリアル世界と変わらない新たな経済圏が誕生します。メタバースの中の一等地の不動産価格はリアル世界同様に高騰するでしょうし、メタバースの中のインフルエンサーの影響力は億単位の金銭を生むはずです。メタバースの中でのアバターのファッションアイテムどころか、美容整形市場すら生まれる可能性があります。
そしてこのメタバース競争の競争力の鍵は、実はオンラインゲーム会社がすべて持っているというのが、今回のマイクロソフトの戦略の要点になるわけです。
新たに顧客を獲得することなく、現時点で月間4億人のユーザーがゲームというメタバースに没頭している。その既存ユーザーを維持し、さらにメタバースにのめり込ませることができるノウハウを持つ1万人のゲーム会社従業員も買収で同時に獲得できる。それをビジネスとプライベート双方のメタバース拡大にリソースとして投入できる。これがマイクロソフトが狙った買収の正体です。
冒頭のようなビル・ゲイツの陰謀論というのは荒唐無稽な話です。しかしビル・ゲイツと仲間たちはわれわれ日本人がコロナ禍に四苦八苦しているうちに、着々とおいしいところをリアルに押さえ始めているのかもしれないのです。信じるか信じないかは読者のあなた次第ではありますが。
(文=鈴木貴博/百年コンサルティング代表取締役)