テレビやネットで連日、新型コロナウイルスの感染者や死亡者のニュースが飛び交い、日常会話にも「コロナ」という言葉が頻繁に出てくるようになり、不安が増大している。
感染を予防し被害を最小限に抑えるには、科学的で冷静な具体策を進めていくしかない。ところが、それとは反対に未知のものに対して恐怖と不安を抱く人間の性向を助長する動きがあるから、要注意だ。
たとえば、専門家によるアドバイスや科学的根拠があいまいなままに、安倍晋三首相が学校を閉鎖する要請を出し、イベントの延期・中止の嵐で混乱が起きている。
具体的なイベント参加人数の目安も言わないので、10人の会合でも取りやめにする例があるなど、自粛というより萎縮が社会に蔓延している。ちなみに、東京都のイベント自粛は室内で500人以上を基準としている(2月21日発表)。
また、安倍首相をはじめ各国首脳の一部も“敵に打ち克つ(勝つ)”というスローガンを口にし始めている。東日本大震災直後に「がんばろう、ニッポン!」などと何百回とテレビで繰り返されていたことを思い出す。
事態を乗り越えようという前向きの意図からかもしれないが、現実には、団結や「一丸となって」という呼びかけが、かえって不安や緊張を増幅する側面もある。
そして、不安や恐怖という弱みに付け込んだのが、3月13日に可決、翌14日に施行された「改正特措法」(新型インフルエンザ等対策特別措置法の一部を改正する法律)だ。
民主党政権時代に成立したインフルエンザ特措法の一部を変えたものである。具体的には、改正前の法律で「新型インフルエンザ等」の定義の改正。法の対象に新型コロナウイルス感染症を追加した。
最大の問題点は、内閣総理大臣が必要と認めれば非常事態宣言することができ、権力の集中、市民の自由と人権が強く制限される危険があることだ。
これまでの安倍政権は、憲法を守らず、法律に違反し、国会で虚偽答弁を繰り返し、政権に忖度した役人も公文書を改ざん・破棄するなどを繰り返してきた。
したがって、今度の新特措法を破ったり、強引に拡大解釈してもなんの不思議もない。むしろ過去の事実を見る限り、こちらの可能性のほうが高いとみなければならない。
「大本営」報道体制と集会の実質禁止も
このような危険性から、各界、各団体から反対声明や抗議声明が出され、反対の街頭活動、デモなどが行われている。
主だったところを見ても、宇都宮健児・元日弁連会長や憲法・言論法が専門の田島泰彦元上智大学教授、弁護士ら10名が出した「新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する緊急声明」などだ。
このほか、日本消費者連盟、新聞社やテレビ局、出版社、映画演劇労組などでつくる「日本マスコミ文化情報労組会議」なども反対している。
また、施行日の3月14日には、国会前で抗議集会が行われたほか、東京都文京区では「新コロナウイルス拡大防止と『緊急事態宣言』~感染症からはじまるファシズム」と題した緊急討論集会も行われた。
法律では、非常事態の期間は2年で1年の延長もあり得るので、最大3年間も非常事態が続く可能性がある。
非常事態宣言が出されれば、総理大臣が都道府県知事に対して外出の自粛や休校、公共施設、興行施設の利用制限を要請できる。
都道府県知事による「要請」と「指示」が可能になるということは、政府の政策に反対する抗議集会も実質的にできなくなるだろう。「要請」や「指示」は、その場の空気とあいまって、実質的に禁止となる可能性が高い。
見逃せないのは、「指定公共機関」としてNHKを明記し、首相や都道府県知事がNHKに対して指示を出せることになっている。しかも指定公共機関は政令で定めるので、政令により民放も追加される危険もある。
そうなればテレビ局が軒並み、文字通り政府の宣伝機関になる。
問題なのは、このような危険があるにもかかわらず、国会の承認が法律で明文化されていないことだ。行政権力だけが勝手に暴走しかねない。
付帯決議に国会への事前報告が盛り込まれたが、付帯決議に法的拘束力はない。法律改正するなら、最低限「国会の事前承認と事後報告」の両方を法律で義務づけるべきだった。
憲法に緊急事態条項を盛り込む地ならしか
その一方で法律に定められているのは、医療施設などのために、所有者の同意がなくとも土地を使用できるなど、ある程度内容が限定されているから危険はない、という指摘があることも事実だ。
確かに、文面上は限定されている。しかし、それでも不安が拭えない理由は2つある。第1に、現政権が憲法と法律を破り続け、国権の最高機関においてウソをつき、公文書の隠蔽と改ざん(リアルタイムの歴史の改ざん)を続けてきた事実があるからである。どのような法改正をしようと、その場の都合で解釈を変える恐れがある。
第2は、憲法に緊急事態を盛り込む地ならし、ないしは布石にしようと政府・自民党がもくろんでいる疑いが生じるからだ。
2012年に自民党がつくった憲法改正憲草案では、「緊急事態条項」を盛り込んだ。これは内閣総理大臣が緊急事態と判断すれば、国会機能を停止し、政府が決める政令が法律と同等の効力を持つことになるというものだ。
行政の独裁になり、緊急事態の期間延長も可能という。その危険性ゆえに、ナチスの全権委任法のようだとの批判がある。まさに、日本を文明国から野蛮国に転落させる憲法草案といえるだろう。
新型コロナウイルスが問題になり始めた1月30日に行われた二階派の会合で、自民党の伊吹文明元衆院血長が、「緊急事態のひとつの例。憲法改正の大きな実験台と考えたほうがいいかもしれない」と述べた事実は見逃せない。
失政を覆い隠す特措法
本来やるべきは、合理的で科学的な対策である。基礎疾患を持つ人や高齢者の重症化率と死亡率が高いのだから、こうした人々への対応を最優先するべきだ。そのためにも、徹底した検査の拡充と、患者が増えた場合の入院施設や隔離施設の確保などは不可欠だ。
さらには、企業、学校、各種イベント自粛による経済的損失の政府による補償も不可欠だろう。
ところが、実際に日本政府がしていたのは逆。中国・武漢で新型コロナウイルス感染が拡大したあとの1月24日から1週間、安倍首相の「多くの中国の皆さまが訪日されることを楽しみにしています」との呼びかけを、北京の日本大使館ホームページに掲載したままだった。ウイルス問題が浮上してからも2週間、中国からの来日を呼び掛けていたのである。
危険が明らかになった段階でも入国制限を行わず、さらには客船ダイヤモンド・プリンセス号でも、徹底して検査して感染者や濃厚接触者を隔離待機させるなどの措置をとらなかった。
このような失策を隠すために、危機意識と不安・恐怖を利用したのが、特措法改正ではないか。
いま必要なのは、新型コロナウイルス感染拡大を防ぐこと、そしてウイルスをテコに社会を萎縮させて権力の強大化を図る動きに警戒すること。この両方を見据えて対処することだろう。
(文=林克明/ジャーナリスト)