年齢を重ねてくると、「自分の人生、こんなはずじゃなかったのに」と思う場面がしばしば出てくる。社会の変化という荒波に飲み込まれ、思い描いた未来は遠い彼方へと去っていく。
ただ、理想と現実のギャップに絶望しても仕方がない。今、目の前に横たわる現実の中で生きていくしかないのだから。
ジェーン・スーさん1年半以上ぶりの単独エッセイ集『これでもいいのだ』(中央公論新社刊)。TBSラジオ『ジェーン・スー生活は踊る』のパーソナリティとしても活躍中だが、文章の切れ味も抜群だ。
そんな本書の帯のキャッチコピーは「思ってた未来とは違うけど これはこれで、いい感じ。」。
冒頭のように、年齢を重ねるとかつて思い描いた理想とのギャップに苛まれることがあるが、その一方でその年齢になっても発見はある。
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ジェーン・スーさんは「中年になってから、空腹のかたちをつかむのが難しくなってきた」とつづる。一体どういうことか。
若い頃は、いつでもラーメンを食べたいと思っていたし、毎日焼き肉を食べられたら幸せ。飲み会ではテーブルの上に揚げ物ばかりが並ぶ。「高カロリー、高脂質、ハイカーボなら、なんでもよかった」というスーさんの言う通りである。
しかし、だんだんと「目が食べたいもの」と「胃が受け付けるもの」が違ってくる。そして今、スーさんがいるのが「身と口が食べたいものさえわからない」という段階だ。
残暑厳しい9月頭、コンビニに入ったスーさんは、冷たくて甘いアイスクリームを食べようと冷凍庫の前で立ち止まる。しかし、その時脳裏をよぎったのが、アイスをモリモリと食べ、トイレに駆け込む羽目になったつい先頃の記憶だ。
これまで、そんなことはなかった。しかし、今回も胃腸が受け付けない可能性はある。スーさんは「同じ失敗は許されない」とアイスを吟味する。食感と味と量を推察し、脳に集まったデータを口と胃に落とすシミュレーションをする。今の空腹にぴったりなアイスはどれだ。
と、その隣では小学生が同じようにアイスを物色していた。
買えるのはひとつと決まっているのだろう。私の財布には十個も二十個も買えるお金が入っているが、胃腸の心配をせずに済むであろう彼の方が、私よりずっと豊かに思えた。(p.207「空腹のかたち」より)
胃腸と打ち合わせをしながらスーさんは、一つのラクトアイスを選ぶ。そして、会計を済ませ、仕事場に戻り、席についてアイスを食べる。じんわりと空腹を満たすアイスに「ハレルヤ!」とスーさん。お腹が痛くなることもなかった。
そして次のようにつづるのだ。
食べたいものを買うのに、お金が足りなかった時代が懐かしい。食べたいものを、食べたいだけ食べられた時代も懐かしい。ということは、これも永遠ではないだろう。(p.208「空腹のかたち」より)
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他にも中年男性たちのダイエット、再結成したガンズ・アンド・ローゼズをめぐる想い、40代にとって「ちょうどいいパンツ」の話、結婚をしない選択をしてシングルマザーとして生きていくこと、炎上しないために必要な「話し方」のアップデート。
『これでもいいのだ』というタイトルの言葉はまるで魔法のようだ。かつての自分と今の自分、いずれも肯定することができる。かつての自分を否定するのは嫌だし、かつての自分や思い描いた未来と比較して今の自分を否定するのもやるせない。幸せは人それぞれであり、生活のかたちも人それぞれ。ないものねだりをやめて、変化を受け入れよう。
「本当にこれで良かったのか?」
「ちょっと違っているかもしれないけど、これでも良いのだ!」
そんなメッセージが、心にじんわりしみる。中年の心の奥底を代弁してくれるジェーン・スーさんのエッセイは、とても優しいのだ。
(金井元貴/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。