また、著者は、直後にジャーナリストを例に挙げて、ハイリスクハイリターンだけでない多様な働き方を提言しています。こちらは理解できます。ジャーナリストにも「弱肉強食の世界で徹底的にしごかれる」道を選ぶ人とそうでない人がいるということなのでしょう。しかし、上で引用した煽り文句とは矛盾していますよね。
他にも、著者の主張には、「いかにも表面的だな」「本当によく考えたのかな」と思えてしまうものがありました。
本書で述べられている事実の部分は、参考になります。また著者の主張の部分は、批判的に検討しながら読み進めれば、それも良いトレーニングになるでしょう。
この本の評価は人によって大きく違うと思われます。したがって、私のようにタイトルと帯だけを見て買うのではなく、少し立ち読みして、納得してから購入することをお勧めします。
※評者プロフィールは文末参照。
「米国製エリート」とは何者を指すのかが不明
<青木理音(米国カリフォルニア大学バークレー校経済学部博士課程単位取得)>
スタンフォード大学と同じく米国の名門カリフォルニア大学バークレー校への留学経験を持つ青木理音氏に、自らの体験も踏まえ本書を読んでもらった。
この『米国製エリートは本当にすごいのか?』というタイトルはミスリーディングである。目次を見ればわかるが、この本は六章構成になっていて、その一章目が「米国製エリートは本当にすごいのか?」である。残りの五章は、各国の留学生の様子から経済・歴史・国際政治、そして日本のエリートについての著者の見解が述べられている。本書を手に取る際にはまず、この点を確認することが必要だ。
では本題に入ろう。「米国製エリートは本当にすごいのか?」への答えは何だろうか。本書の中で、この問いへの明確な答えは用意されていない。アメリカの大学・大学院やそこにいる人々の様子が紹介され、読者はそこから自分なりの答えを見つけるという寸法になっている。
アメリカの大学の制度や実情に加え、アメリカの大学の収入はどうなっているのか、運用状況はどうか、留学生の国別割合はどうなのか、など面白い数字が並んでいる。アメリカの大学に興味はあるが調べたことはない人にとっては、手っ取り早く情報にアクセスできる内容だ。
しかし、ここに本書の最初の問題点がある。それは「米国製エリート」が何を指しているのかも示されていないことだ。アメリカ人のことなのか、アメリカに留学している学部生のことなのか、それとも著者のようにMBAで留学している社会人学生のことなのかハッキリしない。当然に本書における「米国製エリート」の記述もアメリカ人・留学生・MBAを混ぜあわせたような代物になっており、「米国製エリートは本当にすごいのか?」という主題についても答えようがない。「米国製エリート」を明確に定義した上で、彼らの生態や選別・養成される仕組みついて記述すべきである。