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ツムラといえば、漢方薬の大手で、『葛根湯』などでよく知られている大手漢方薬品メーカーだ。創業は1893年。それから120年が経ち、漢方業界において揺るぎない地位を築いている老舗企業は、漢方の効果を科学的に実証し、グローバル戦略を展開している。
しかし、今から17年ほど前、経営が窮地に陥ったことがあった。1996年3月、「ツムラのある漢方薬で副作用が起きて10人の死者が出た」という報道が出たのだ。
当時のツムラは、ピーク時の1991年からは少し下降していたものの、それでも800億円あまりの売上高を稼いでいた。そんな中での副作用報道。しかも副作用を起こした『小柴胡湯』はピーク時には年間売上300億円の稼ぎ頭だった。
さらに、創業一族の前社長による特別背任事件が明るみに出て、売上が激減してしまう。
そんなツムラを立て直した中心人物であり、現会長の芳井順一氏がツムラに入社したのは、この一連の事件が起きる直前の1995年のことだった。
「問題や事件が次から次へと起こる日々」…当時のことをそう振り返る芳井氏は、取締役社長室長として負の遺産の整理にあたり、1997年にはツムラの“負の体制”の権化ともいえる医薬営業本部長に就任。そして2004年には取締役社長に昇りつめ、創業111年目にして、創業家と血縁のない初のトップとなった。
『復活を使命にした経営者』(岡田晴彦/著、ダイヤモンド・ビジネス企画/編、ダイヤモンド社/刊)は窮地に追い込まれたツムラの復活と漢方の復権、その渦中で立て直しに奮闘した芳井氏を追いかけた一冊だ。
本書では、芳井氏の壮絶ともいえる闘いの日々がつづられているが、その中で彼が訴えていたことがある。それが「患者さまに安心・安全を届けること」だ。
■漢方薬でトレーサビリティを実現する
芳井氏が生み出した画期的なアイデアは多数あるが、その中の一つが「生薬トレーサビリティ体制」だろう。トレーサビリティは「追跡可能性」という意味で、スーパーマーケットでよく見かける生産者表示が代表的な例だ。
芳井氏は「生薬について責任を持たないといけない」という信念のもと、ツムラが扱う全119種類の生薬について、その生産地から加工調整、流通保管まで記録する仕組みを作り上げようとした。
しかし、ほとんどの原料生薬の生産地は中国の農村部。しかも流通経路は複雑で、ツムラに届くまでに、中国の流通企業が入ってくる。生産地の情報を開示することは、ツムラと生産農家の直接取引の道を教えるようなもので、中国企業にとっては何のメリットもない。
それでも、芳井は誠心誠意を込めた交渉を積み重ねていった。内陸部にある農家に自ら足を運び、時には中国の合弁会社にも指導し、生産に関わる人たちのことを考えながら必死に動いたのだ。その結果、「生薬トレーサビリティ体制」は大きく前進したのである。
ところが、今度は日本国内から反対の声が上がる。理由はコスト増への懸念だ。芳井はそれでも引かない。「安全な生薬でつくった安全な漢方薬を患者さまにお届けするのはツムラの使命に他ならない」と訴え、徹底的な話し合いの末、社内でも体制確立への挑戦が認められ、最終的には実現できてしまった。
これによって懸案だったコスト増もなく、逆に大幅ダウン。ツムラにとっても、そして中国の農家にとってもメリットは大きかった。
「薬」は安全と安心を前提に提供されるもの。芳井氏は流通経路を“見せる”ことで、それを達成したのだ。
本書の帯には作家の村上龍氏が推薦文を寄せており、ツムラや芳井氏への注目度の高さがうかがえる。一度、地に堕ちた企業はどのようにして復活していったのか。そしてそのとき、中心となって動いた人は何を思っていたのか。
今、経営に携わっている人や、リーダーを目指している人は、熱く感じるものがあるはずだ。
(文=新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。
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