1966年に静岡県清水市(現在は静岡市清水区)で一家4人が殺害された「袴田事件」の犯人とされて死刑判決が確定したものの、2年前に静岡地裁で再審(裁判のやり直し)の開始決定を受けた元プロボクサー・袴田巖さん(80歳)のことは、まだ多くの方の記憶に残っていることと思う。48年ぶりに釈放された袴田さんは、長期間の身柄拘束による拘禁反応(精神障害)を引きずりながらも、郷里の同県浜松市で姉の袴田秀子さん(83歳)と平穏な生活を送っている。
ところが肝心の裁判は、再審開始決定を不服とした検察が東京高裁に即時抗告したため、依然として「再審を始めるかどうか」の審理が続いている。袴田さんは無罪となるどころか、身分は「確定死刑囚」のままだ。そのうえ、東京高裁が検察の主張に沿うかたちで鑑定(検証実験)の実施を決めたため、最悪の場合、再審開始決定が取り消され、袴田さんは死刑囚として再び収監されかねない状況に陥っている。
検察、DNA鑑定結果を覆そうと必死
高裁審理での焦点は、静岡地裁が新証拠のひとつと認定したDNA鑑定の信用性だ。鑑定は、死刑判決(80年確定)が袴田さんの犯行着衣としていた「5点の衣類」を対象に実施。袴田さんの弁護団が推薦した法医学者・H氏は、袴田さんのものとされてきた血痕のDNA型は本人と一致せず、被害者の返り血とされてきた血痕のDNA型も別人のものだとする鑑定結果を出した。これが再審開始の大きな決め手となり、地裁は「証拠が捏造された疑い」にまで言及した。
検察は、このDNA鑑定結果を覆そうと必死になっている。標的にしたのが、H氏が用いた「選択的抽出方法」と呼ばれるDNA鑑定の手法だ。皮脂や唾液、汗などが混じった血痕から、血液に由来するDNAだけを選り分けて取り出すものだが、検察は「H氏独自の手法で有効性はなく、鑑定結果は血液ではないDNA型を検出したもので信用できない」と主張。検証実験をして確かめるよう高裁に求めたのだ。
袴田さんの弁護団は反対したが、東京高裁はこれを押し切って実験の強行を決め、今年初めに手続きが始まった。鑑定人は、検察が推薦した法医学者・S氏。結果が出るまでに数カ月かかるとみられている。
事態を深刻化させているのは、裁判所が検証実験のやり方についてまで、検察の主張を採り入れたためだ。
検証実験で使う試料は、(1)新しい血液に別人の新しい唾液を混ぜたもの、(2)10年以上前に血液が付けられたガーゼ、(3)(2)の血痕に別人の新しい唾液を混ぜたもの、の3種類だ。これらの試料から、選択的抽出方法を使って血液のDNA型を判定できるかどうかを調べる。