2012年に中国で民主的に自治を獲得したとして国際社会でも話題を集めた広東省汕尾市陸豊市東海鎮烏坎村に、再び風雲が立ち込めている。村の民主的選挙で選ばれた村長が今年6月、濡れ衣に近いかたちで汚職容疑で逮捕され、村人たちが85回にわたり村長釈放を訴えてデモを続けていたが、ついに9月13日、当局は3000人の警官を派遣して抗議活動の首謀者らの逮捕に踏み切った。
このとき、村民らが投石などで抵抗、警察側が催涙弾やゴム弾で鎮圧した結果、負傷者50人以上の流血の騒ぎとなった。現場では海外メディアは排除され、厳しい統制下にある。逮捕・拘束者は70人に上り、現地取材を試みた「香港01」などの記者ら5人も拘束され、強制退去させられた。
胡錦濤政権末期に民主的自治を勝ち取った村がなぜ今、このような目に遭っているのか。
烏坎の乱
この事件について理解するためには、まず2011年から12年にかけて起きた通称「烏坎の乱」から説明しなければならない。この村はもともと、共産党上級機関(陸豊市)から指名された村の党支部書記が牛耳る、よくある中国の農村だった。
中国の農村は村民直接選挙で選ばれる村長(村民委員会主任)と党上級機関から指名される党書記に支配される二重支配構造だが、実際のところは党書記が村長を兼任するか党書記の子分が村長になるなどして、党が農村運営の実権を持つ。烏坎村では、この党支部に牛耳られた村民委員会が村の農地使用権を勝手に広東省大手不動産業者らに7億元あまりで譲渡し、そこに暮らしていた村民には1世帯当たりわずか550元程度の補償金で立ち退かせ、ほとんどの利益を着服していた。
この不正事件を発端に、党支部・村民委員会と村の若者の間に激しい対立関係が生じ、11年9月21日、村民3000人規模の抗議デモに発展、当局はこれを数百人の警官隊で鎮圧しようとするも、抵抗を受け、十数人が負傷する流血事件に発展した。このときの負傷者のうち2人は児童で重症を負った。対立はさらにエスカレート、村民側は自分たちで選挙を行って村民臨時代表理事会13人を選出し、旧村民委員会の解散を訴えた。
こうした状況に陸豊市・東海鎮側は、村の書記らを汚職容疑で更迭するも、村民が選出した臨時代表理事会は違法組織だとして、理事会副会長の薛錦波ら5人の理事会役員を逮捕した。村民はこれに不満の声を上げるが、当局は警官隊に村を包囲させて食料の流通や生活インフラを止め兵糧攻めで村民を締め上げる作戦に出る。