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損なわれる行政への信頼…麻生財務相に透ける「たかがセクハラ」「たかが森友」意識の“罪”

文=江川紹子/ジャーナリスト

 どんな組織にでも、とんでもない人が出てしまうことはある。そういう人が存在したからといって、軽々しくその組織が腐敗しているとは決めつけられない。

 しかし、その人が当該組織のトップとなれば、話は別である。財務省の福田淳一事務次官によるセクハラ疑惑と、それについての麻生太郎財務相の反応には唖然とさせられた。いったい財務省はどうなっているのだろうか。音声記録まで暴露され、与党内からも更迭を求める声が出たが、本人は辞任を拒否し、報道を否定して争う姿勢を発表した。

セクハラに対する反応の鈍さ

 福田次官が女性記者を呼び出しては悪質なセクハラをくり返している、と報じる「週刊新潮」(新潮社)が発売になったのは、4月12日。記事では、記者と同次官の具体的なやりとりを再現しているほか、複数のメディア関係者の証言が紹介されている。たとえば、以下のようなやり取りだ。

「“彼氏はいるの?”と聞かれたので1年ほどつきあっている人がいると応えると、“どのくらいセックスしてるのか?”と聞かれ(以下略)」(大手紙記者)

「深夜によく電話があって、ネチネチ過去の男性のこととか聞かれて、トホホです」(テレビ局記者)

「“キスしていい?”は当たり前。“ホテル行こう”って言われた女の記者だっている(中略)“最近、どのくらい前に(セックスを)いたしたんですか?”とか口癖で(以下略)」(別の大手紙記者)

「セクハラしまくってる」「被害者の会ができるんじゃないですか」と財務省職員が語るほどの常習犯だったようだ。これらがすべて事実なら、相当に悪質と言わなければならない。

 ところが、同誌発売当日の麻生氏は、「きちんと緊張感を持って対応するようにと、訓戒を述べたということで十分」「十分な反省もあった」として、処分はおろか、事実についての調査も行わないとした。

 その翌日、「週刊新潮」が、女性記者に「抱きしめていい?」「胸触っていい?」「手縛っていい?」などとくり返す福田次官の音声を、ネットで公開した。

 すると、麻生氏はようやく「あの種の話は、今の時代、セクハラと言われる対象」「事実であれば、セクハラという意味ではアウト」と認めながらも、こう述べた。

「本人の長い実績を踏まえてみれば、能力に欠けるという判断をしているわけではありません。今のところ処分等を考えているわけではありません」

 セクハラとしては「アウト」でも、財務官僚としての「実績」や「能力」を考えれば、次官としては「セーフ」ということらしい。そんな発言からは、「たかがセクハラではないか」という麻生氏の本音が透けて見える気がする。

 担当記者からすれば、事務次官から呼ばれれば、駆けつけないわけにはいかない。セクハラがあっても、仕事のうえで不利益があるかもしれないと考えれば、不快感をあらわにしたり抗議したりするのもはばかられ、耐えたりかわしたりしながら取材に努める。「週刊新潮」が伝えたのは、そういう立場を利用した、卑劣で下品極まりない人権侵害にほかならない。

 このような疑惑の人が、事務次官という責任ある立場にふさわしいのか。すみやかに事実を調査の上、それを判断するのが、任命権者たる財務大臣の役割だろう。

 そして各報道機関は、自社の記者が被害を受けていないかを調べ、あった場合にはそれを報じるべきだった。記事に「#Me Too」のハッシュタグをつけ、メディアが続々と伝えれば、他のさまざまな組織で被害に遭っている女性たちへのエールになり、セクハラの被害者が声を挙げにくい風潮を変える力にもなる。

 それにもかかわらず今回、そうした動きはなかった。このようなメディアの反応の鈍さも、「たかがセクハラ」という受け止め方をする人たちがなかなか減らない一因だろう。

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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