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江川紹子の「事件ウオッチ」第105回

「真相究明」「再発防止」を掲げる「オウム事件真相究明の会」への大いなる違和感

文=江川紹子/ジャーナリスト

自らの保身に執着し、責任を弟子に押し付けた麻原

 1996年4月24日に行われた初公判で、地下鉄サリン、元信者リンチ殺害、薬物製造の各事件についての罪状認否を求められた麻原は、説法で多用していた宗教用語を並べて自分の心境について語り、「いかなる不自由、不幸、苦しみに対して一切頓着しない、聖無頓着の意識。これ以上のことをここでお話しするつもりはありません」と述べただけで、事実についてはまったく語らなかった。その後も、自らの刑事責任が問われる法廷での麻原は寡黙だった。

 同じ頃、公安審査委員会では、オウム真理教に対して破壊活動防止法に基づく解散命令を出すかどうかを決めるため、教団側の弁明を聞く手続きが行われていた。5月15日、28日の弁明手続きには、麻原本人が出席。教団の危険性や政治性を「ございません」「ありません」とことごとく否定し、実に饒舌に語った。

 自らが説いていた殺人を肯定する教義については「味の素のようなもの。味の素を入れなくても、醤油や味噌で味は出る」などと述べてはぐらかし、公安調査庁が教団の政治性の根拠としていた「祭政一致国家」の建国構想については「温泉町の何とか国と同じですよ」と軽口を叩いた。

 印象的だったのは、自分の支配力を小さく見せようと努めたことだ。教団内では、信者に対して自分への「絶対的な帰依」を求め、強固な支配被支配の関係をつくっていたのに、「オウムは帰依の対象が複数あり、グルは絶対ではありません」と弁明。さらに「弟子が私の言うことを聞かないことが多々あった」「私の権威の失墜の表れです」と嘆いてみせた。

 こうした弁明内容は、多くの信者の証言と異なり、とうてい事実とは認められない。

 オウムでは、凶悪事件にかかわった幹部たちが、「高い世界への転生」を意味する宗教用語「ポア」を、「殺人」の隠語として使っていた。また、教団内で麻原は、「成就者」による「ポア」は罪ではなく救済だと説いていた。逮捕前の麻原が、「成就者」としてふるまっていたことは、言うまでもない。ところが弁明手続きの中で、公安調査庁側から「あなたは成就者なのか」と突っ込まれると、麻原は「お答えすることは差し控えたい。私は疲れている。揚げ足をとられるといけない」などと逃げた。

 自らの代理人の問いには言いたい放題。ただし都合の悪いことは述べない。そんな態度で2回の弁明を乗り切る一方で、自らの責任が問われる刑事裁判では、認否を先送りする。ところが、そうしている間にかつての弟子たちが次々に、教祖に関する事実を証言していた。その情報は麻原の耳にも入っただろう。自らの法廷でも、忠誠を誓っていたはずの井上嘉浩元幹部までが目前で「教祖の指示」を語る事態になった。相当に焦ったに違いない。第13回公判、井上証人への弁護人反対尋問中に、麻原は裁判長に対し尋問の中止を要求。「これは被告人の権利です」とも言った。

 しかし弁護人は結局、尋問を続行した。「教祖の指示」を語る井上証言は揺らがなかった。

 麻原にしてみれば、耳に入れたくない弟子たちの証言をやめさせようとしたのに、裁判所は受け入れず、弁護人も自分に従わず、不愉快な状況が続くことになったのである。これを契機に、麻原は弁護人に対して拒絶的になり、法廷でも不規則発言をくり返して審理を妨害しようとするようになる。

 34回公判で、彼はようやく罪状認否を行った。英語をまじえるなど奇妙な語り口ではあったが、地下鉄サリン事件について、村井秀夫元幹部や井上らに「ストップをかけた」と述べ、坂本弁護士一家殺害事件についても「私自身が一切指示していない」などと言い、起訴された17件のうち16件について無罪を主張した(1件は認否留保)。

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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