ヤクザ社会の「部屋住み」といえば若手組員の登竜門であり、部屋住みを務め終えれば厳しい修行のひとつを行ったことと見なされ、ヤクザのエリートコースを歩んでいけるといわれていた時代があった。
その部屋住みをする場所が上部団体の本部になればなるほど誉れであり、特に本家親分と呼ばれる司組長や直参組長が頻繁に出入りする六代目山口組総本部(神戸市灘区)となれば、人選されただけでも光栄だったものだ。
だが現在、そうした状況が異なり始めているという。
総本部の部屋住みとは、そこにやってくる直参組長の身の回りのお世話はもちろんのこと、掃除や賄いに至るまでの雑務すべてを行う。その過程のなかで、ヤクザとしての礼儀作法や所作を学んでいくのだ。
総本部の部屋住みになるには、所属する二次団体の組長からの推薦が必要だ。地域ごとに構成されたブロック長の面談があり、さらに六代目山口組執行部にて採用か不採用かを決定するのである。
そのほかにも、基本的に27歳までの若手組員であること、逮捕の可能性がないこと、覚醒剤などの前科がないこと、普通免許を取得していなければならないことなど、採用基準が事細かに定められている。六代目山口組系の組員だからといって、誰でもいいというわけではないのだ。
総本部の部屋住み期間は基本的に2年。最初は3カ月に一度くらいしか休みはなく、その後も盆休みや正月休みでもなければ、何日も総本部を離れることは許されず、ずっと詰めていなければならない。そのため、実の親もしくは身元引受人の承諾といったものも必要となってくる。
実際、部屋住み期間中にケツを割って(途中で逃げ出して)しまう組員も少なくない。また、場合によっては2年の期間をさらに延長されることもある。
当時の1カ月の手当は20万円
筆者の同期は、20代の頃に3年半の本家部屋住みを務めあげ、最後には五代目山口組・渡辺芳則組長の靴を出すなどの役目を持つ下足番を務めるにまでなっていた。
部屋住みは、親分衆に顔と名前を覚えてもらえ、貴重な経験を積めるだけでなく、当時は1カ月に20万円の手当ても支給されていた。そのうちの10万円は積み立てが義務付けられ、部屋住みを卒業する際に本人へと一括支給されるのだ。
それを資金として、新しいシノギをする組員も少なくなかった。
「部屋住みをしていると、正月のお年玉を各親分衆から1万円もらえるのだが、当時は直参の組長だけで100人以上おられたために、お年玉だけでも結構な額となった」(本家部屋住み経験者)
ただ、「人間関係は非常に難しい」と続ける。
「たとえば、その人物が若くして二次団体の執行部に入っていたとしても、部屋住みに入れば一番下からのスタートとなり、こき使われる立場になる。ほかでの座布団(序列)なんて関係がない。それに慣れるまでが大変で、1カ月で逃げてしまう子も多かった」(同)
筆者自身の所属した組織の下部組織からも総本部へと部屋住みへと入り、ほかの部屋住みとの人間関係のもつれで連絡を絶ってしまった若い子も実際にいた。新入りの間は私用の電話をすることもはばかられ、その若い子は夜間の洗濯物を干す時間に、よく筆者に電話をかけてきていた。
「叔父貴、変わりないですか? 今度の総本部のガレージ当番(総本部駐車場のシャッターの開閉や車の誘導を行う守衛のような役割で、各組が持ち回りで行う)に来ますよね! その時、叔父貴らのとこに行きますね!」
この若い子の最初の休日も筆者が迎えに行き、本部へと行って親分に挨拶を済ませた後、昼食のために阪神尼崎の繁華街に連れて行き、夜には同門を集めて酒を飲みながらみんなで激励したのであった。
「もう全員の叔父貴(直系組長)のフルネームを漢字で書けるようになりましたし、叔父貴らが総本部に乗ってくる車種とナンバーもすべて覚えましたよ!」
その時はすごく元気だった。だが総本部へと再び戻った後からは、次第に筆者への電話も少なくなっていき、次の休みの際には連絡はなく、その翌日には消息を絶ったのであった。
のちにわかったことだが、同じ部屋住みの先輩らからのイジメが原因だったようだ。ちょうどその時期、部屋住み同士のイジメがひどく、1人に対して集団で暴行を加え、それを重くみた執行部が暴行を加えた人間全員を所属組織へと送還し、人員を総入れ替えさせたこともあった。
部屋住み制度を廃止する組織も
そうしたなかで昨今、ヤクザ社会の若手の人材は減少の一途を辿っており、仮に若い組員がいたとしても、部屋住みといった、拘束される行為をひどく嫌う若者が増えているという。
「ムリに部屋住みなんて行かそうもんなら、すぐに飛んで(逃げて)しまう。飛ぶだけやったらまだしも、警察に飛び込んで、サツに部屋住みに無理やり入れられましたって被害届出されかねん。そういう時代になってしまった。今、部屋住みに入るのは、借金を抱えて、ニッチもサッチいかんようになった若い子が多いと聞く」(六代目山口組系幹部)
すでに筆者の現役時代にも部屋住みがなかなか決まらなくなってきており、部屋住み制度を廃止する組織も出てきていた。
そうした現象をまるで嘆くかのように、直参組長ら同士の会話のなかで、ある組長が失笑まじりにこう口にしたのを今でも鮮明に覚えている。
「部屋住みと接する時は、宝みたいに接したらなあかん。部屋住みさまさまや」
一見単なる皮肉だが、その言葉の裏には、自分たちの時代では考えられなかったという複雑な思い、極道の未来を憂う寂しさなどが見え隠れしていた。
六代目山口組総本部の部屋住みを無事終えれば、総本部で執行部の親分衆らに挨拶を述べ、所属する組織の親分のもとへ帰るという習わしがある。
今の若者にとって、部屋住みとは過酷以外のナニモノでもないかもしれない。だが、親分たちは誰しもがこう口にする。
「総本部の部屋住みを卒業すれば、仮にカタギになったとして、どんな社会でも組織でも辛抱できる忍耐力がついている」
部屋住みでの我慢に比べれば、一般社会の仕事で求められる我慢なんて対したことはないというわけだ。それでも若者のヤクザ離れは、昨今の厳罰化を鑑みても今後はさらに広がっていくはずだ。まして、部屋住みのなり手がますます少なくなっていくのは避けようがないのだろう。
(文=沖田臥竜/作家)