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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

ボジョレー・ヌーヴォー、生産量の半分は日本に輸出…なぜ解禁日がある?

文=篠崎靖男/指揮者
ボジョレー・ヌーヴォー、生産量の半分は日本に輸出…なぜ解禁日がある?の画像1「Getty Images」より

 今年のボジョレー・ヌーヴォーの解禁日は11月15日です。フランス政府によって、毎年11月の第3木曜日が解禁日と決められているので、「15日」となる今年は一番早く栓を開けることができる年なのです。

 日本でボジョレー・ヌーヴォーブームが始まったのは、バブル経済真っ盛りの1988年。僕がまだ大学生の頃でした。毎日のレッスンや音楽の授業に追われていた音楽学生だった僕にとっては、バブルはあまり関係なく、ワインなんて飲むこともなかったのですが、ボジョレー・ヌーヴォーだけは無理をして買ってみた記憶があります。解禁時間がその国々の日付が変わる午前0時となっていたので、時差の関係で日本は世界で最初に飲める国というキャッチフレーズで大ブームとなり、今に至ります(実際はニュージーランドやオーストラリアのほうが早いが、先進国では日本が最初)。最近は、俳句の季語として使う俳人もいるそうです。

 1951年に12月15日と決められた解禁日を、フランス政府が11月第3木曜日に早めたのは84年です。この解禁日の変更に目をつけた業者が、日本では“世界で一番早く飲めるボジョレー・ヌーヴォー”とキャッチフレーズをつけたことで大ヒットしました。初ガツオ、初ナスなど、初物好きの日本人はまんまとはまったわけです。実際に、81年には日本には3000箱の輸入しかなかったのに、この84年には3万3000箱輸入されています。その後、バブル経済真っただ中の88年には15万3000箱輸入され、「ボジョレー・ヌーヴォーあります」と看板を掲げる蕎麦店も出るくらい大ブームになったのです。

 現在でも、ボトルの半分は日本に輸出されているようです。これは、ボジョレー・ヌーヴォーを世界に売り込んだフランス人醸造家ジョルジョ・デュブッフ氏と、日本の業者のイメージ戦略の勝利といえます。

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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