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『全裸監督』の“素晴らしさ”と“ダメさ”、“リアルさ”と“罪深き隠蔽”

文=深笛義也/ライター
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サイトNetflixより

全裸監督』を見たいがためにNetflixに入ったという人々が多くいる一方で、『全裸監督』に頭にきてNetflixを解約したという人々も少なくない。ドラマの主役、村西とおると深い交わりのあった本橋信宏氏の著書『全裸監督 村西とおる伝』(太田出版)が原作である。

 賛否両論の激流を生み出している、Netflix配信のドラマ『全裸監督』を専門家はどう見たのか。映画業界関係者から話を聞いた。

「ベータカムを担いで女優と行為に及ぶ撮影法の元祖である、きわめてハチャメチャなビデオ監督の村西とおるを、実力派俳優、山田孝之に演じさせたという企画力が勝利した作品だと思います。俳優さんたちは皆、素晴らしかった。

 多くの女優さんが脱ぐわけですけど、それが業界で言う『脱ぎ要員』ではなくて、ちゃんとお芝居のできる方たち。『脱ぎ要員』の女優は演技がメチャクチャ下手っていうことがありますけど、そういうことはまったくなかった。家で不倫しちゃう村西の妻とか、村西に“駅弁”を伝授した飲み屋の女将とか、脇役の女優さんたちもちゃんとお芝居ができている。成人向け作品専業の女優の方も出ていましたけど、彼女も演技ができていて感心しました。成人向けの映画やビデオだと、絡み合う男女にカメラが寄っていくけど、引いたまま撮っている。ボディで見せるのではなく、演技で見せているわけです。

 そして、黒木香を演じた森田望智。彼女がいなければ成立しなかったこの作品は、彼女のモノと言っていいでしょう。演技力は抜群で、当時の黒木のしゃべり方から仕草まで、見事に再現している。こんな凄い女優がいたんだ、よく見つけてきたなと感心します。少女時代のシーンも秀逸でした。高校時代の場面で、親に言われて、風呂場で同級生と並んで足を洗うところなんか、まったく脱いでないのに、ものすごくいい。大学のデッサンの授業で、男性モデルに向かって脚を開いて見せつけるシーンも、森田の演技力により、清廉に見える美大生がやっているように本当に見える。ここも脱いでないのに、ものすごくリアルでした」

 現実の村西は、演技で性的なものを見せる作品を蔑視し、“本番”にこだわり、女優に前貼りを外させるシーンも『全裸監督』にはある。だが、見事なまでに演技でのみだらさで見る者を魅了するというパラドックスも『全裸監督』の魅力の1つだろう。

大胆な脚色が物語に強度を与える

 地上波では絶対にできない、という賛辞が『全裸監督』に捧げられているのをよく見かける。子どもも見るテレビで、性的なシーンのあるドラマが流せないのは当たり前だ。それ以外に、地上波と違う要素はあるのだろうか。

「地上波のドラマと比べると、ものすごく制作費をかけています。映画以上にかけているでしょう。『全裸監督』を見た業界人には、セットが浮いちゃってて、つくりものに見えるという声もあります。だけど、聞いたところによると、例えば当時の歌舞伎町を忠実に再現するんじゃなくて、よりごみごみした猥雑な街として表現したということがあるようです。全体として見ても、ノンフィクションが原作でありながら、フィクショナルにつくっていくという姿勢があるんでしょう。

 警察ともつるんでいる業界のドンがいろいろ妨害してくるのに対して、新興の村西が抗っていくというストーリーになっています。だけど原作を見ると、そんなドンみたいな人なんていないんです。黒木主演のデビュー作がドンの妨害で発売できなかったなんてこともなくて、普通に発売されている。裏本を積んだトラックが検問に引っかかって、札束を仕込んだ絵本を警察官に渡して切り抜けるというシーンがあります。原作を見ると、村西さんがやってたことは、そんなもんじゃない。警視庁の刑事たちに総額で毎月600万の賄賂を渡して、捜査情報を得て逮捕されないようにしていたんです。警察とズブズブだったのは、村西さんなんですね。

 まあ、それでも逮捕されちゃったわけで、そのあたりはドラマに反映されています。ノンフィクションをドラマにする場合、脚色を加えるのは当たり前のことだけど、かなり大胆に骨格そのものを変えている。強大な敵をつくり上げて、弱い立場の人間がそれに抗って、潰されかけてはねのけるというのはエンタメの定番。大胆な脚色が物語に強度を与えていると思います」

  原作をおもしろくする脚色の工夫は、随所に見られる。村西が撮影で赴いたハワイで逮捕され旅券法違反とマン・アクト法違反で、懲役370年の求刑がされたことは事実。結局は司法取引での罰金と弁護士料で1億円かかったのも原作にあるとおりだが、その1億円は、村西が所属していたクリスタル映像が支払ったのだ。だが、スタッフの1人が裏ビデオ化されるのを承知で、修正前のマスターテープをヤクザに売って金をつくったという脚色でエンタメ性が高まっている。

 起訴されたら長期勾留を強いられる日本の“人質司法”は先進国から批判されているが、アメリカでは早期に保釈される。裁判のためにハワイに留まらざるを得なかったが、引き受け人となったハワイ天台宗の寺でお世話になりながら、村西は英会話教室に通ったり仏画を描いて過ごしていたのだ。やはり、それではおもしろくない。牢獄でヒゲぼうぼうになりながら孤独を味わい、ようやく自由の身になったというほうがドラマ性は高い。

村西=重い十字架を背負った人間

 地上波ではできないと讃えられる『全裸監督』だが、これが劇場で上映される映画だったらどうなのだろうか。

「映画を見慣れていて目の肥えた人たちからしたら、あれっ、て思うところはけっこうあるでしょうね。せっかく業界のドンという存在をつくり上げたのに、それが逮捕されてあっさり獄中で首くくって死んじゃうでしょう。せっかく、ドンに抗う村西に感情移入しているのに、やっつけた感がない。突き抜けた快感がない。なんでここで死んじゃうの? あれだけ図太いはずの人間が1回パクられたくらいでなんで死ぬの? って、ポカーンと取り残された気持ちになっちゃう。

 脚色はもちろんかまわないんだけど、警察に包囲されて大立ち回りするシーンとか、映画の感覚から見るとそんなにスリリングでもないし、無駄に尺を取っている感じがします。ハワイでの逮捕で、村西の撮影クルーの現地コーディネーターが、グリーンカード欲しさにFBIにチクったというシーンがあります。逃げ隠れしているわけじゃなくて、普通に撮影の打ち上げパーティをやってたわけで、FBIからしたら簡単に居場所はわかる。なんでチクリが要るんだ? って、犯罪物の映画を見慣れている人は首をかしげるでしょうね。むしろ、ああ、裏切りがあったほうがおもしろいから無理くり入れたんだなって、しらけるんじゃないですか。脚色はいいんだけど、脚色のしすぎという感は否めません。

『全裸監督』の評価の1つに、どこまでフィクションだかノンフィクションだかわからないというのがあるけど、本当にそうなっちゃってる。飛んでるセスナの中で絡みを撮影したとか、ハワイでの逮捕で求刑370年っていうのは本当なのに、あまりに脚色が多すぎて、これもフィクションなの? と思われて埋没しちゃってる。そして、描くべき事実が描かれてない。駅弁と並ぶ、村西の一大発明が出てこないじゃないですか」

 村西は、今のビデオ作品では主流になっているさまざまな手法の元祖だというのは、自他ともに認めるところだ。

「村西がたまたま未亡人と行為に及ぶことがあって、亡くなった旦那さんが鉄道関係者で、いつも駅弁スタイルでしていたということで、その体位を求められたということは、原作に書かれています。それが、『駅弁はいかがですか~』っていう郷愁を誘う声がバックに流れて、きわめて情緒あふれる、これまで見たこともない美しい駅弁になっている。だけど、美しく描けないから顔にかける手法から逃げたということなら、どこまで本気で村西を描こうとしたのか。覚悟が足りないという気がします。

 黒木にスポットを当てることで、女性の性の解放みたいな視点も見せているけど、紛れもなく村西さんの作品は男性の欲情に沿ったもの。『全裸監督』では、女性に悪さをするのは周りの人たちで、村西さんはそれを諫めるいい人、女性の味方として描かれているけど、本当にそうだったんでしょうか。男性の欲情を満たすために女性を消費している。そういう重い十字架を背負った人間として描いたほうが、作品の価値は上がったと思います。都合の悪いことを隠しているようだと、『全裸監督』というタイトルが泣きますよ」

『全裸監督』は、シーズン2の制作が決定したと発表された。実際の村西の人生としては、テレビにも出演する人気者になったものの、乱脈経営で会社を倒産させて転落の人生を歩むのだが、いったいどのように描かれるのか。『全裸監督』の名に恥じないドラマを期待したい。

(文=深笛義也/ライター)

深笛義也/ライター

深笛義也/ライター

1959年東京生まれ。横浜市内で育つ。10代後半から20代後半まで、現地に居住するなどして、成田空港反対闘争を支援。30代からライターになる。ノンフィクションも多数執筆している。

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