六代目山口組へまたも名門組織が移籍…三代目大平組が権太会へ【沖田臥竜コラム】の画像1
六代目山口組傘下組織に大平一門が集結(写真は、六代目山口組総本部)

 筆者の親分であった二代目大平組・中村天地朗組長は、引退後も常々このように話していた。

「山口組というのは、やはりひとつしかない。ヤクザとしての筋は、六代目山口組にしかない」

 そうした想いを受け、昨年秋、六代目山口組への復帰の決断をしたのが、群雄割拠といわれる大阪ミナミで一大勢力を誇っている、平野権太会長率いる権太会であった【参考記事「山口組分裂騒動で注目の権太会長とは」】。

 平野会長は二代目大平組の出身で、同組内で最高幹部を歴任していたが、平野会長が服役中に中村親分が引退、それに伴い二代目大平組も解散となった。そのため出所後、平野会長が率いていた平野組は権太会と名を改め、神戸山口組系組織として復帰を果たしたのだった。

 だがその後も陰日向で、引退された中村親分を大切にされていた。そして、常日頃から中村親分が口にしていた「ヤクザとしての筋は、六代目山口組にしかない」という言葉を重く受けとめて、神戸山口組に恩義を感じながらも、六代目山口組へと移籍したのである。

 平野会長が移籍したのは、六代目山口組の中核組織・三代目弘道会にあって、分裂抗争の最前線に立ち爆発的な勢力拡大を見せていた野内正博組長(三代目弘道会若頭)率いる野内組であった。この移籍は100人規模という大型のもので、業界内では大きな話題となったのだ。

 さらに今回、その権太会に、二代目大平組の伝統を脈々と受け継ぐ組織が加入することになったのだ。それが、二代目大平組本部があった兵庫県尼崎市をはじめ、長野県、鹿児島県、山梨県にまで勢力を伸ばしている、三代目大平組である。

 三代目大平組は、二代目組長の中村親分が引退したあと、同組で若頭を務めていた中村彰宏会長が「大平を興す會」として結成した組織、大興會が前身となる。その後、大興會は一時、独立組織として一本独鈷の歩みを経たのちに、任侠山口組へと加入。それに伴い大平組の名称を復活させて、三代目大平組として、任侠山口組の直系組織となっていたのだ。

 だが、こうした最中から現在に至るまで、トップである中村会長は、服役中で社会不在を余儀なくされていた。

 そんな中村会長の今夏の出所を目前に控え、組織が動き出したのである。絶大な勢力を誇る権太会への移籍。同時に名称を三代目大平組から、発足時と同じく大興會へと改めたのであった。

 二代目大平組の組長であった中村天地朗という人は、政治的なことを好まず、とにかく寡黙で誰よりも自身に厳しい親分であった。昔気質で、たった一度の弱音を吐くようなこともしなかった。二代目大平組の組員は、その背中を見て育ってきた。たとえ、山口組分裂という空前絶後の出来事を経て、所属する上部団体がそれぞれ異ることになったとしても、二代目大平組出身の組員たちの絆は、さまざまな垣根を超えて、変わることがなかったのである。

 そして今回、権太会の名のもとに大平一門が集結し、初代から脈々と受け継がれてきた伝統を守っていくこととなった。同じ大平一門である筆者としても、感慨深いものがある。

 現在、山口組の分裂問題は、特定抗争指定暴力団に指定されたことによって膠着状態となっている。そうしたなかの今回の移籍は、小さくない影響を及ぼす可能性があるのではないだろうか。

(文=沖田臥竜/作家)

●沖田臥竜(おきた・がりょう)
2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、『山口組分裂「六神抗」』365日の全内幕』(宝島社)などに寄稿。以降、テレビ、雑誌などで、山口組関連や反社会的勢力が関係したニュースなどのコメンテーターとして解説することも多い。著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任侠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)など。最新小説『忘れな草』が発売中

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