今から5年前の8月。六代目山口組を割って出た勢力が神戸山口組を発足させた際、そこには「5人の大御所」と呼ばれた親分衆らが存在した。それが、神戸山口組・井上邦雄組長、二代目宅見組・入江禎組長、俠友会・寺岡修会長、池田組・池田孝志組長、正木組・正木年男組長の5人であった。
この親分衆は、六代目山口組においても執行部経験がある幹部で、六代目体制の礎を築いてきた一員として知られてきたのだった。それだけに、5人の親分衆らが中心となり、神戸山口組を発足したことには大きなインパクトがあった。だからこそ、その5人の親分衆に対して、六代目山口組執行部が下した処分は、同じタイミングで離脱したほかの組長らとは違い、ヤクザ社会でも最も重い処分となる絶縁だったのだ。
それでも、この大物たちが一斉に立ち上がったことで、それまでは不可能といわれていた山口組分裂が起こったのは事実だ。そして、神戸山口組は、日本最大のヤクザ組織である六代目山口組と対峙することになったのだ。
しかし、5年の経過と共にその一端が崩れてしまうのだった。7月27日、5人の大御所の一人である池田孝志・池田組組長が、神戸山口組から離脱したという情報が流れたのだ。
池田組長の離脱が業界内で噂となり、信憑性が高まっていったのは、五代目山健組が神戸山口組を離脱して、一本(独立組織)として独自路線を歩むのではないかという情報が駆け巡り始めた最中だった。さらにその頃には、一部新聞紙面でも「解散が濃厚」と報じられた絆會が、急遽、解散を撤回するという情報が浮上。その理由のひとつとして、池田組と合流するのではないかという説が囁かれた。
「池田組長と絆會の織田絆誠会長は、神戸山口組時代から親しい間柄であったと業界関係者らは口にしています。現に織田会長らが神戸山口組を離脱した際には、池田組長は執行部から降りています。今のところ絆會と合流したという事実は確認されていませんが、近くそういった動きがあったとしてもおかしくないかもしれません」(ヤクザ事情に詳しい記者)
池田組が神戸山口組を離脱したと見られる翌日の28日には、絆會サイドから、それを肯定するかのような通達も出されたようだと語る業界関係者らも存在する。それに対する捜査関係者の見解はこうだ。
「そのような通達が流布したのは事実のようだが、SNSなどで拡散された通達文や破門状、または内部情報などが、必ずしも本物かといえばそうではない。相手陣営を錯乱させるために、意図的に流されるニセ情報やニセ通達文もあるし、愉快犯的に個人が手の込んだ破門状などを作成し、ネットに広めることもある。そうした可能性も視野に入れて、今後の推移を見守る必要があるのではないか」
確かに、池田組の神戸山口組離脱が確認されてから、ほかにも神戸山口組から「ある組織が脱退したようだ」「いやあそこも抜けるようだ」などといった真偽不明の内部情報がSNS上で拡散されている。こうした現象は、六代目山口組分裂後、特に散見されるようになった。
一方で、業界関係者の間には、こういった声もあるようだ。
「池田組は神戸山口組のなかでは、群を抜く資金力を持つ組織として知られていた。それに対して、神戸山口組のなかで、強力な武力を持つ組織といえば山健組だった。その山健組で当時、かつて副組長を務めた織田会長らの勢力が抜け、今回、結果として中田(浩司・五代目山健組)組長らが五代目山健組として離脱することになった。池田組の動きは、そのあたりも関係しているのではないか」
特に池田組が本拠地を置く岡山県には、山健組の一大勢力があり、なかでも四代目山健組発足当時に若頭を務めた妹尾英幸組長を創設者とする三代目妹尾組という武闘派組織も存在している。その三代目妹尾組を含めた岡山県内の五代目山健組の勢力の大半が今回、中田組長の意向に沿う形で神戸山口組を離脱したのだ。そうした背景も、今回の池田組の判断に影響を及ぼしているのかもしれない。
中田組長の意を受けた五代目山健組、そして、大御所といわれた池田組長率いる池田組の離脱という重大事が立て続けに起きた神戸山口組は、正念場を迎えているといえるのではないだろうか。
(文=山口組問題特別取材班)