
「グループ丸抱えの購買運動」は、実は戦後の特徴である
昔、筆者が一橋大学の勉強会に発表者として招かれた時、研究生だか大学院生に三菱化成(現・三菱ケミカル)出身の方がいらした。その方がおっしゃるには、「三菱グループの社員は、東京三菱銀行で口座を作って、明治生命や東京海上の保険に入り、三菱電機や三菱自動車の製品を買うのが当たり前だと思っている。だが、なぜそうなのか理由がわからない」とのこと。
意外に思われるかもしれないが、グループ丸抱えの購買運動は戦後の特徴であり、戦前の財閥時代にはなかった。住友財閥が商品の販売に三井物産を使っていたくらいで、三井・三菱・住友の間では秘かに「住友が素材、三菱が加工、三井が販売」というすみ分けがあったという。
ではなぜ、それが「素材も加工も販売も三菱で完結する。三井や住友も同じ」という、グループ丸抱えの購買行動へと変容したのか?
それは、戦後の三菱グループを再結集させたのが、銀行だっただからだ(三菱の部分を、三井、住友に置き換えても可)。
銀行命令!「グループ企業同士で取引せよ!」
1945年に第二次世界大戦で日本が敗戦し、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本を占領。占領下で財閥が解体させられた。1952年に占領が解除されると、旧財閥傘下の企業が再結集していったのだが、その中核になったのは銀行だった。
1950年代中盤からは高度経済成長期に入り、日本企業は「作れば売れる」時代に突入した。ただ、工場を造るにも原材料を買うにも従業員を雇用するにも、必要となるカネが圧倒的に不足していた。教科書的には、株式会社であるから株式を増資して資金を調達すればよいのだが、株式市場にカネが集まらず、増資では資金調達できなかったのだ。だから、銀行にカネを借りにいった。
戦前の財閥では、財閥本社がどの企業に重点投資するかを判断していたが、戦後はその役割を銀行が担うことになった。そうなると、融資を受ける企業としては、銀行の企業戦略に沿って、より多くの融資を得ようとする。つまり、銀行の企業戦略が、グループ(ひいてはグループに属する企業)の戦略に影響を及ぼすことになる。
当時の銀行が狙っていたのは「効率的な融資」の実現である。では、「効率的な融資」とは何か。