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江川紹子の「事件ウオッチ」第165回

菅首相は“会見偽装”をやめて、ただちに記者会見を開けーー江川紹子の提言

文=江川紹子/ジャーナリスト
菅首相は“会見偽装”をやめて、ただちに記者会見を開けーー江川紹子の提言の画像1
首相官邸ホームページでは、菅首相が頻繁に「会見」を開いたことになっているよう“偽装”されているが……(画像は首相官邸ホームページ)より

 菅義偉政権に移行して、2カ月以上になる。その評価はまちまちだろうが、国民とのコミュニケーションに関していうと、前政権より明らかに後退しているといわざるを得ない。コロナ禍が深刻さを増し、対策には国民の理解と納得、そして協力がさらに必要になっている今、菅首相は一定の頻度で記者会見を開き、国民に丁寧な説明を行い、時間をかけて疑問に答えるなど、国民とのコミュニケーションにもっと力を注ぐべきだ。

“会見偽装”という欺瞞

 現政権の発足は9月16日。菅首相は、この日の夜に30分程度の就任記者会見を行って以来、一度も記者会見を開いていない。

 にもかかわらず、首相官邸のホームページを見ると、実に頻繁に「会見」を開いたことになっている。11月は、その数8回に及んでいる(11月23日現在)。

 しかしその内容を見ると、いずれも記者団の前で首相が一方的に語っているだけ。時間も52秒から2分27秒という短いもので、質疑の記録もない。これでは「ぶら下がり取材」ともいいがたい、単なる「発表」「通告」だ。

 そういったものに「会見」のラベルをつけて官邸のホームページに掲載するのは、記者会見の「偽装」としかいいようがない。少なくとも安倍晋三政権では、こうした欺瞞は行われていなかったはずだ。

 前政権も、開かれた記者会見には後ろ向きだった。第2次安倍政権となってから7年間、指名されるのは内閣記者会やいくつかの特定メディアの記者だけという状況が続いた。そのうえ冒頭のスピーチが長く、質疑は短いうえ、やりとりがかみ合わなくても、記者は重ね聞きはできない。

 その安倍政権も、コロナ禍への対応が求められるようになった2月下旬以降は、首相会見を何度も開いた。そのやり方にも変化が見られた。文化・スポーツなどのイベント自粛や全国の小中高校、特別支援学校の臨時休校を求めた2月29日の記者会見は、わずか30分で質問を打ち切って終了し、国民の批判を浴びた。だが、それ以降は1時間前後の時間をとり、フリーランスやネットメディアの記者の質問にも応じるように改善された。そうした会見は、3月に2回、4月に2回、5月には3回行われた。

 一方で、会見の持ち方で後退した部分もある。緊急事態宣言がなされてからは、参加できるペン記者の数が減らされ、内閣記者会常駐の加盟社は1社1人、フリーランス等は抽選に当たった人のみの参加になった。緊急事態ではやむを得ない措置だったとしても、同宣言解除後も、参加者の制限は続いた。依然として重ね聞きができない点も、まったく改善が見られない。

 それでも、会見の回数が増え、質問に答える時間が増えたことは、意味があったと思う。この国難において、首相がどういう認識で何をしようと考えているのかを知りたかったはずだからだ。安倍首相が、自らの現状認識を語り、医療関係者や小売・流通の労働者など、いわゆるエッセンシャルワーカーをねぎらい、国民が心をひとつにウイルスと立ち向かうよう呼びかけたことは、国民が緊張感をもって問題に向き合う一助にもなったのではないか。

 質疑のなかで、医療物資の不足や検査態勢が整わない問題などについて、首相自身が原因を十分に把握していないのではないか、と思うこともあった。だが、それもまた、我々の政府がどういう状況にあるのかを国民が知るうえで、大事な情報だったと思う。

 コロナ禍の安倍政権は、「うちで踊ろう」の動画など、反感を招いて大失敗に終わったものもあったが、国民とのコミュニケーションをとろうという意欲はあった。

 しかも、この時点では、国民に伝えるべきメッセージが極めてシンプルで伝えやすかった。「Stay Home(家にいましょう)」の徹底や社会活動の自粛によって、感染拡大を防ぐ。それを人々に周知することが最も大事だった。

 今はどうか。

行うのは、通路に記者を並ばせ、そこで一方的に通知を行う「偽装会見」のみ

 社会は、感染拡大防止だけでなく、コロナ禍で傷んだ経済を支え、回復していく、という課題にも直面している。政府には、感染防止と経済支援という、ともすれば相反する方向の施策を、両方ともバランス良く進めることが求められている。最適なバランスは時期によって異なり、感染状況を見極めて、迅速、適切、柔軟に判断をしなければならない。

 それにはその都度、国民にできるだけわかりやすいメッセージを発信し、対策への協力を求めていくことが必要だ。理解や納得を得るには、疑問にもできるだけ丁寧に答えていくことも求められる。

 つまり、感染防止と経済回復の両立を図ろうとすれば、今まで以上に国民とのコミュニケーションに力を注がなければならない、はずである。そうでなければ、国民を巻き込んだ効果的な対策は打てない。

 菅首相が、共同通信社前論説副委員長の柿崎明二氏を首相補佐官に据えたのは、それを見越して、政府のコミュニケーション力を上げるためだと、私は思った。

 ところが残念なことに、その期待は見事に外れた。

 菅首相はこの国難の時に、記者会見を避け続けている。発足直後に内閣記者会の記者と懇談会を行ったが、これは内容が公表されていない。日本学術会議の任命拒否問題が起きた後には、やはり内閣記者会の一部の記者と2度にわたって「グループインタビュー」を行ったが、質問できたのは限られた記者のみで、何より国民に直接語ったものではない。

 行うのは、通路に記者を並ばせ、そこで一方的に通知を行う「偽装会見」のみである。

 新たな感染者の数が「過去最高」となっている自治体が相次ぎ、重症者もじわじわ増え、医療関係者が「医療崩壊の危機」を警告している。これに対する政府・与党の動きは鈍かったが、国民とのコミュニケーションにおいても同様だった。

 北海道の鈴木直道知事が「不要不急」の外出を道民に呼びかける一方で、旅行や会食を奨励するGoToキャンペーンは続行されようとしていた。これは、現状の深刻さを国民が理解するうえで、とてもわかりにくかった。そんな時に菅首相が記者団の前で語ったのは「静かなマスク会食」の勧めだった。困惑した人も多かったのではないか。

 コロナ対策分科会がGoToの見直しを提言し、ようやく政府もこの施策にブレーキをかけることになった。しかし、いかなる場合に、どのようなブレーキを、どの程度、いつまで、誰の権限でかけるのか、という説明は、誰がやるつもりなのだろうか。キャンペーンを続ける場合以上に、細やかなコミュニケーションが求められる場面である。

 私は、ここはぜひ、菅首相にやってもらいたい。できるだけ多くの記者が参加できる、まともな記者会見を開いてわかりやすく説明し、さまざまな質問にも時間をかけて、丁寧に答えてほしい。国民が政府と現状認識を共有し、その施策に理解や納得をしなければ、せっかくの対策も十分な効果を上げられない、と懸念されるからだ。

 ところが、菅首相が現状をどう認識し、感染防止と経済支援のバランスをどのように考えているのか、よくわからない。

 国際オリンピック委員会のバッハ会長と会談した後、菅首相は内閣記者会の記者団の前で、次のように語った。

「私からは、人類がウイルスの戦いに打ち勝った証として、そして、東日本大震災から復興しつつある姿を世界に発信する復興オリンピック・パラリンピックとして、来年の東京大会の開催を実現する決意である旨、お伝えしました」

「私からは、東京大会では観客の参加を想定したさまざまな検討を進めていることを説明し、バッハ会長との間で、安全・安心な大会の実現に向け、今後とも緊密に連携していくことで一致いたしました。極めて有意義なやり取りができたと思っています」

NHK番組に出演した際、学術会議の人事について説明を求められると不機嫌になった菅首相

 まず、「ウイルスとの闘いに打ち勝った証」というキャッチフレーズがよくわからない。コロナウイルスに打ち勝つ時は、果たして来るのだろうか。むしろ、コロナウイルスと共存しなければならない時代がやって来るのではないか。

 菅首相は東京五輪を経済対策の目玉として考え、海外からの観客まで受け入れ、公共交通機関での移動も認める意向、などといった報道もなされている。では、開催地の人々の「安全・安心」はどうなるのか、という点もよくわからない。地元の人たちの不安は、置き去りにされている感じがする。

 首相が語らずとも、担当大臣が説明するからいいではないか、という意見がある。

 確かにコロナ対策については、西村康稔・経済再生担当相が、コロナ対策担当相として情報発信を担い、熱心な発信を行ってきた。田村憲久・厚労相や加藤勝信・官房長官なども、記者会見を行っている。

 しかし、菅政権も前政権と同様、重要な施策は官邸が強い権限で決定して、ズンズン物事を進めていこうとしていることは、学術会議人事を通じてよくわかった。コロナ禍のように、一人ひとりの命や健康、仕事や生活に直結した問題においてはなおのこと、首相が事態をどうとらえ、どのような価値観とバランス感覚で物事に対処していこうとしているのかを、国民は知る権利がある。

 長く官房長官として、日々の記者会見を行ってきた菅氏だが、官僚の助けなしに、自身でさまざまな質問をさばいたり、痛いところを突いた質問に対処するなど、柔軟なコミュニケーションはあまり得意ではないのかもしれない。

 NHKの番組に生出演した際、学術会議の人事についての説明を求められると、菅首相は次第に不機嫌になった。キャスターから「説明を求める国民の声もあるように思う」と促されると、ついに怒りをあらわにして「説明できることとできないことがあるんではないでしょうか」と言い放った光景は象徴的だった。

 けれども国民とのコミュニケーションは、内閣総理大臣の必須科目である。コロナ禍のような国難の時代にあっては、なおさらだ。批判的な質問が飛んでくるからと、国民とのコミュニケーションを避けるようでは、ほかの仕事がどれだけできるとしても、その任にとどまっていてもらっては困る。

 コミュニケーションのとり方は人それぞれだろう。菅氏は菅氏なりのやり方を模索すればいいのではないか。

 決してみならってほしくはないが、世界にはトランプ米大統領のように、批判的な質問に感情的に反応し、記者とやり合うような記者会見を行っているリーダーもいる。それでも、コミュニケーションから逃げるよりはずっとマシだ。

 大事なのは、首相自身に国民にきちんと説明する意思があるかどうか、だ。政府に批判的な人、疑問を抱いている人も国民だ。あらゆる方向からの質問を受け止め、自分の言葉で返していき、国民とのコミュニケーションをはかっていく覚悟が、内閣総理大臣たる者に求められている。

 分科会の提言にも、人々の行動変容のために必要なこととして、次の一文が盛り込まれている。

「政府から人々の心に届き、共感が得られやすいメッセージを出して頂きたい」

 菅首相の仕事だと思う。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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