
細川ガラシャってこんな人
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の新キャストが発表になった。芦田愛菜が細川ガラシャを演じることが決まり、ネットでは盛り上がっているという。
細川ガラシャは本名を玉といい、明智光秀の娘として永禄6(1563)年に生まれた。
天正2(1574)年に織田信長が明智家と細川家に縁談を命じ、天正6(1578)年に細川藤孝(ふじたか/のちの幽斎/『麒麟がくる』では眞島秀和)の嫡男・細川忠興(望月歩)と結婚。天正10(1582)年6月に本能寺の変が起きると、明智光秀は細川家に支援を要請するが、藤孝は出家、忠興はガラシャを離縁して支援要請を拒否した。
山崎の合戦で羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が勝利すると、細川父子は秀吉に評価され、天正12(1584)年に忠興・ガラシャ夫妻は復縁を許される。ガラシャはキリスト教に入信し、天正15(1587)年に洗礼を受け、ガラシャの名をもらう。
ガラシャは絶世の美女で、信仰心が厚く、自分の意思を持っていたといわれている。
夫の忠興は勇猛果敢な武将であり、「利休七哲」のひとりに数えられた茶人。自ら甲冑をデザインする美的センスの持ち主である反面、「日本一気が短い」といわれ嫉妬心が強く、ガラシャを人目にさらすことを極度に嫌ったという。
慶長5(1600)年7月、関ヶ原の合戦を目前に控え、石田三成は大坂城下に居住する妻子を人質に取ろうとしたが、ガラシャはそれを拒み、屋敷に火を掛け自刃した。享年38。
「細川ガラシャ」という“あり得ない”名前で呼ばれることの奇妙さ
源頼朝の妻は北条(平)政子、足利義政の妻は日野富子、ともに実家の苗字で呼ばれている。同様に、細川ガラシャも明智ガラシャ(もしくは惟任[これとう]ガラシャ)と呼ぶべきなのだが、明治以降にキリスト教関係者が「細川ガラシャ」と呼びだしたらしく、今では細川と呼ぶのが一般的になっている。
ちなみに、『麒麟がくる』でもそのうち放送されると思われるのだが、夫の細川忠興の父・細川藤孝は、足利義昭と袂(たもと)を分かち、長岡京近くの土地を与えられて、長岡と改姓する。忠興はその後、秀吉から羽柴姓を与えられ、関ヶ原の合戦後に細川に改姓している。従って、夫の苗字で呼ぶなら「長岡ガラシャ」というのが正しい。