
あくまでも五輪開催ありきなのか。
「緊急事態宣言はゴールデンウィークと関連しているもので、東京五輪とは関係ない」
国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長の強行発言を受ける形で、入国者に対する政府の新型コロナウイルス対策案が打ち出された。選手やコーチ、介助者は入国後毎日、ウイルス検査を実施。宿泊先や練習会場、試合会場のみとする行動範囲の限定。移動先や交通手段を明記した活動計画書の提出と、その内容に対する誓約書。さらに、それに違反した場合の大会参加の資格剥奪……。
しかし、私は思う。東京五輪・パラリンピックの開催に対して、世界世論の多くが反対の立場をとる中、果たして同五輪の開催を強行する必要があるのか。
独米PR戦略大手の「ケクストCNC」が日米欧6カ国を対象に実施した世論調査では、アメリカを除く5カ国で年内開催に「同意しない」が賛成を上回っている。中でも、開催国である日本のそれは最多の56%にのぼった。
その停滞ムードを物語るように、3月25日に福島から始まった聖火リレーでは、五木ひろし(歌手)、広末涼子(女優)、藤井聡太(棋士)、笑福亭鶴瓶(落語家)といった著名人が次々と参加要請を断る「辞退ドミノ」が起きた。2016年に入所者19人が殺害された相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」でも、被害家族の一部が「フェスティバルの一環としての採火に違和感を持つ」と、相模原市に対して採火の中止を求めている。
盛り上がりに欠けた史上最低の祭典になるのが必至の、今夏の東京五輪。そもそも私は2013年9月、IOC総会で開催都市が東京に決定したときから、2度目の東京五輪の開催に懐疑的な目を向けてきた。
戦後復興の象徴となった57年前の東京五輪。東海道新幹線、高速道路、モノレールなどの建設が東京を世界有数の大都市に押し上げ、経済協力開発機構(OECD)に加盟した日本が先進国の仲間入りを果たす起爆剤になっただけでは、物足りないのか。今やアメリカ、中国に次ぐGDP(国内総生産)を誇る日本は、2度目の東京五輪開催にいったい何を求めているのか。
国家の威信なのか。長期的視座に立った経済の再勃興なのか。あるいは、人類平和のための礎なのか。だが、それはすでに57年も前に成されている。
1964年の東京五輪。それが果たした役割とは何だったのか。かつて交流のあった元NHKの名アナウンサー・西田善夫さん(故人)の回想の助けを借りながら、振り返ってみる。
カラー映像・衛星中継・都市の変貌…実況担当アナの回顧
1964年の東京五輪は、アジアで初めて行われたオリンピックであり、有色人種国家における史上初の開催という意味でも、国家間の垣根を取り払う平和的祭典のカラーが強かった。参加国・地域93という過去最高の数字(当時)がそのことを物語っていたが、夏冬合わせて計10度のオリンピック実況を担当した西田さんによると、映像においても東京五輪が果たした役割は画期的なものだったという。