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神戸山口組はなぜ衰退していったのか…2つの大きな要因

文=山口組問題特別取材班
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一時は神戸山口組本部事務所とされていた建物。

 7年前の8月、神戸山口組が発足された。それは本家である六代目山口組と真っ向から睨み合う形でのスタートだったのだ。それを神戸山口組は書面にて明確に書き記して見せた。すなわち、本家である六代目山口組の運営体制を一言に集約し「悪政」とまで言ってのけたのである。

 それは、まさに六代目山口組に対する戦線布告ともいえる出来事だった。さらに、これまで六代目体制下で処分されていた親分衆を次々に神戸山口組で復帰させ、六代目山口組サイドに対して、練り歩きといわれるデモンストレーションを行ってみせたのだ。

 「数の上でいえば六代目山口組が圧倒的であったが、それでも当初、積極的なアクションでイニシアティブを握ったのは神戸山口組だった。それによって、六代目山口組全体が揺れている印象を与えることにも成功したといえるだろう。特に分裂直後から関係者たちの間で頻繁に使用され始めたTwitterなどSNSでは、圧倒的に神戸山口組を応援するアカウントが多く存在していた」(業界関係者)

 そうして船出をきった神戸山口組だったが、その後、なぜ衰退することになっていくのか。その理由は、大きく2つあるといえるのではないか。まずは、六代目山口組からの武力行使に対する報復に遅れをとったこと。

 「いくら綺麗事をいってもヤクザ社会でものをいうのは、どれだけ時代が変わっても暴力だ。分裂当初、判官贔屓と相まってか世論全体が神戸山口組を応援するような雰囲気が確かにあった。それはメディアの報じ方もそうだったのではないか。それでも六代目山口組サイドは武力を行使し続けた。それが長期化すればするだけ、その差は両勢力の差になった。つまりは力の差が表面化することになったのだ。そもそも同じ菱の代紋を掲げたとはいえ、本家はいうまでもなく六代目山口組。それは、神戸山口組サイドも感じていたはずだ。それはそうだろう。六代目サイドを出て神戸山口組に参画した親分衆も、それまではその代紋を背負い生きてきたのだ。いくら割って出たといっても、その山口組に対して、刃を向けることは、心情的には躊躇や迷いがあったはずだ」(某組織関係者)

 そうしたことが、今日の決定的な勢力の差を生んだといえるのではないか。そしてもう一つは、内側からの崩壊といえるだろう。

 結成からわずか1年数カ月にして、当時、3つ目の山口組=任俠団体山口組(現・絆會)を名乗った勢力が、神戸山口組から離脱。2度の記者会見を開き、神戸山口組に対して、“六代目山口組以上の悪政”と罵倒してみせたのだ。さらにそこからは次々と有力組織が離脱し、ついには神戸山口組の中核組織だった山健組までもが袂を分け、その後、六代目山口組に復帰することになったのだ。

 「外部からの武力攻撃に続き、内部崩壊が幾度となく繰り返されることになりました。特に絆會の離脱は“神戸山口組の分裂”といってもよい出来事だった。そこからは、神戸山口組サイドの衰退は目まぐるしいものがありました。神戸山口組は、ヤクザ業界において最も重要である“盃”を否定してのスタートだったのですから、その時点で、極道としては、どちらに理があるかは明らかだった。そこがそもそもの明暗を分けたポイントといえるのではないでしょうか」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト)

 果たして、社会全体が注目した山口組の分裂劇はどのような形で幕を下ろすのか。このまま勢力を衰退させながらも、神戸山口組は存続するのか。それとも何らかの形で決着がつけられるのだろうか。

 分裂問題はまる7年を迎えようとしている。

(文=山口組問題特別取材班)

山口組問題特別取材班

ヤクザ業界をフィールドとする作家、ライターおよび編集者による取材チーム。2015年の山口組分裂騒動以降、同問題の長期的に取材してきた。共著に『相剋 山口組分裂・激動の365日』(サイゾー)がある。

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