フラット35上限1.2億円は「善意」か「劇薬」か…利上げ局面で膨らむ無理な住宅ローン

●この記事のポイント
・東京23区の新築マンション平均価格が1億円を超えるなか、フラット35の融資上限が1.2億円へ拡大。背景には、中流層でも住宅取得が困難になる市場の構造変化がある。
・日銀の利上げで変動金利の不安が高まる中、全期間固定のフラット35が再評価されている。一方で、融資枠拡大は「買えるが返せない」高額ローンのリスクも孕む。
・制度拡充は価格高騰の歪みを緩和する一方、家計に過剰なレバレッジをかける危険性も。住宅購入では、借入上限ではなく長期的な返済耐性が問われる局面に入った。
「共働きで世帯年収は2,000万円近い。それでも、都心の新築マンションは現実的ではない」こうした声は、もはや珍しいものではなくなった。
不動産経済研究所によると、2024年度の東京23区における新築マンションの平均価格は1億円を突破し、直近では1.1億円前後で推移している。かつて「億ション」は一部の富裕層の象徴だったが、現在は都心部では“平均”に近い価格帯になりつつある。
この価格高騰を背景に、住宅金融支援機構は長期固定金利型住宅ローン「フラット35」の融資上限を、現行の8,000万円から1億2,000万円へ引き上げる方針を固めた。一見すれば「住宅取得支援の拡充」という前向きな政策だが、市場関係者の受け止めは一様ではない。
●目次
- なぜ今、「1.2億円」なのか——形骸化した8,000万円の壁
- 「日銀利上げ」という最大の変数——変動金利時代の終焉か
- 「買える」と「返せる」は別——高額ローン・リスクの増大
- 市場への影響——価格高騰の“呼び水”になるのか
なぜ今、「1.2億円」なのか——形骸化した8,000万円の壁
これまでのフラット35の融資上限8,000万円は、すでに都市部の実態とかけ離れた数字になっていた。
都内で70~80平米クラスの新築マンションを購入しようとすれば、価格は軽く1億円を超える。自己資金を2,000万~3,000万円用意できる世帯は限られ、結果として「返済能力はあるのに、制度上借りられない」というケースが続出していた。
不動産ジャーナリストの秋田智樹氏は、今回の引き上げをこう分析する。
「これは低所得者向けの住宅支援ではありません。価格高騰で脱落し始めた“中流層”を、何とか市場につなぎ留めるための制度調整です。8,000万円という数字自体が、すでに現実を反映していなかった」
年収倍率で見ても異変は明らかだ。かつて住宅価格は「年収の5~6倍」が目安とされてきたが、現在の東京では8倍、9倍は当たり前。制度を据え置けば、住宅市場は一気に富裕層専用になりかねない。そうした危機感が、今回の決断を後押ししたとみられる。
「日銀利上げ」という最大の変数——変動金利時代の終焉か
今回の制度変更を語るうえで欠かせないのが、日本銀行の金融政策転換だ。
2024年以降、日銀は段階的に政策金利を引き上げ、超低金利時代は明確に終わりを告げた。住宅ローン市場では、これまで圧倒的に支持されてきた変動金利型に、じわりと不安が広がっている。
こうした中で再評価されているのが、全期間固定金利のフラット35である。
「金利が上がる局面では、“借りられるか”よりも“支払いが将来どうなるか”が重要になります。フラット35は金利上昇リスクを完全に遮断できる点で、心理的な安心感は非常に大きい」(秋田氏)
融資上限の引き上げは、「固定金利を選びたいが、価格が高すぎて選べなかった層」にとって、実質的な救済措置となる。制度変更のタイミングが、利上げ局面と重なったのは偶然ではない。
「買える」と「返せる」は別——高額ローン・リスクの増大
しかし、この制度変更には明確な副作用もある。それが、身の丈を超えた住宅購入を誘発しかねない点だ。
融資枠が1.2億円に広がることで、「理論上は買えてしまう」物件が一気に増える。だが、それは必ずしも「無理なく返せる」ことを意味しない。
特に懸念されるのが、LTV(融資比率)の上昇だ。頭金をほとんど入れずに1億円超のローンを組めば、将来の不動産価格下落時に、オーバーローン(資産価値<ローン残高)に陥るリスクが高まる。
秋田氏は警鐘を鳴らす。
「フラット35は安全な商品ですが、高額・長期ローンそのものが安全とは限らない。35年間、固定費として重い返済を背負うことが、教育費や老後資金にどう影響するかまで考える必要があります」
固定金利は「守り」には強いが、「柔軟性」は低い。収入減少やライフプランの変化が起きた場合、家計の逃げ道は決して多くない。
市場への影響——価格高騰の“呼び水”になるのか
もう一つの焦点は、今回の引き上げがマンション価格そのものを押し上げるかという点だ。
理論的には、借り手の購買力が上がれば、売り手は価格を引き上げやすくなる。「フラット35で1.2億円まで借りられる」という相場観が広がれば、デベロッパーがそれを前提とした価格設定を行う可能性は否定できない。
一方で、秋田氏は冷静な見方を示す。
「実際に1.2億円をフルに借りられる世帯は限られます。金利上昇局面で審査は厳格化しており、市場全体を一気に押し上げるほどのインパクトはないでしょう」
むしろ、価格上昇を左右するのは、建設コストや人件費、土地価格といった供給側の構造問題だ。制度変更は、あくまで「歪みを一時的に緩和する措置」にとどまる可能性が高い。
フラット35の融資枠引き上げは、金利上昇時代における合理的な制度対応であることは間違いない。固定金利で将来不安を抑えられる点は、多くのビジネスパーソンにとって魅力的だ。
しかし同時に、それは家計に過剰なレバレッジをかける誘惑でもある。
制度が拡充されるほど、問われるのは「借りられる上限」ではなく、「自分たちが無理なく耐えられる負債水準」だ。住宅ローンは、人生最大の投資であると同時に、最大のリスクでもある。
価格高騰と利上げという二重の圧力のなかで、踊らされない判断力こそが、これからの住宅取得における最大の武器になるだろう。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部)











