年商7億円、ココナッツオイルブームを仕掛けたママ社長の成功の秘訣…「バカシステム」から脱却せよ
「父はサラリーマン、母は専業主婦。姉と弟がいますが、弟にかけられる期待と、私や姉にかけられる期待がまったく違いました。『女は愛嬌があって馬鹿でいい、そのほうが早く結婚して出産できるし、幸せになれる』という価値観の中で育ちました。でも、私はやりたいことがあったら動き出さないと気が済まない性格。生きる場所はここではない、といつもモヤモヤしていました。
フランスに行って料理人になりたい、アメリカに行ってファッションやアートの勉強をしたい、とやりたいことが次から次に浮かんできたんですが、結局、“女はこうあるべき”という価値観に押しつぶされ、“どうせ、わたしなんて”と思ってしまい、福岡から出ることができませんでした」(同)
しかし、海外に行って自分の可能性を試してみたい、という荻野さんの情熱は、冷めることはなかった。短大1年生の時、両親に頼み込んで、ようやくニューヨークへ1カ月の語学留学が許された。
ニューヨークで貪欲に多くの体験をする一方、自分が置かれた世界の小ささに打ちのめされたという。ニューヨークで出会った友達はどんどん自分の可能性に挑戦しているのに、自分は結局、福岡に帰らなければならない。古い価値観「バカシステム」に縛られた世界に……。
前向きな離婚が元夫との関係性を良好に
帰国後、荻野さんは大学を中退する決意をする。自分で自分の人生を開く決断をしたのだ。
しかし、その後の人生は、まさに波瀾万丈だった。大好きなアパレルの仕事に就いても、待遇の格差に失望して退職。その後、ボストンバッグひとつ持って上京するも、お金がなくなり借金まみれになった。百貨店の販売員、パソコンの販売員、ウエートレス、工場内軽作業、コーヒーショップの店員、外資系企業で秘書、ホームページ制作会社の営業など、数え切れないほどの職を転々とすることになる。
「私の履歴書はまったく綺麗ではないです。職務経歴書は3枚では書ききれないと思います。こじれまくっています」(同)
これほどの転職を繰り返したのは、学歴がないためだという。学歴がないので昇進は見込めない。ならば「食い扶持」を増やしたほうがいいと考えた。
だが、25歳で結婚すると、生活は一変してしまう。働かなくても生きていけるという安心感から、モチベーションがゼロになったのだ。
「家事もまともにせず、韓流ドラマを見るだけの日々が続きました。自己嫌悪に陥り、生きている価値がない、私は社会のクズだと落ち込んでしまいました。でも開き直って、気持ちを切り替えて、全力でダラダラすることにしました。これも良い機会と考え、自分の内面と向き合ったのです」(同)