その結果、12年同期のマルチ・スズキの連結売上高は前期比3.2%減の5260億円、純利益は同28.6%減の248億円と大幅な減益となった。大黒柱のインドでの販売減少が響き、スズキ(本体)の12年同期の連結売上高は前年同期比3.7%減の2兆5121億円にとどまった。960億円の減収である。同営業利益は23億円強とわずかに増えたが、11年の“山猫スト”(労働組合員の一部が、組合全体の意思を無視して行うスト)はスズキ本体の営業利益を100億円以上押し下げたとみられている。
このストを決着させたことで、11年10月に26%まで落ち込んだ市場シェアを今年5月には40%にまで回復させた。ところがインド市場での圧倒的優位を取り戻そうとした矢先に、暴動が起きた。深刻な事態である。
暴動発生の報道を受け、スズキの株価は、19日の取引開始から下落。一時は前日比4.1%安の1446円となり、3年5カ月ぶりの安値をつけた。翌20日には一時、前日比39円安の1412円と今年の最安値を更新した。23日には一時、60円安の1362円にまで崩落した。生産停止が長引けば、経営への深刻な影響は避けられないという悲観的見方が広がっている。
“軽の王者”と称されたスズキの栄光は過去のものとなった。後継者は不在、VWとの提携は失敗、ダイハツ工業に軽自動車の首位の座を奪われた。ドル箱だったインドでも暗雲が立ち込める。スズキにとって四重苦だ。インドでは経済発展とともに労働者の権利意識が高まっているのに、スズキはそれに機敏に対応できなかった面がある。今年82歳になる鈴木修氏。自動車業界で5本の指に入る名経営者といわれてきたが、VWとの提携から、その解消を決断する一連の判断に「鈴木修、老いたり」の感を深くした関係者は多い。
修氏の長女と結婚し、次の社長に内定していた小野浩孝・取締役専務役員が52歳で亡くなったことが悔やまれる。経済産業省政策局企業行動課長だった小野氏は修氏も舌を巻く交渉力とリーダーシップを持っていた。欧州部長のときに世界的な人気車、スイフトの開発にも携わった。修氏が、娘婿危篤の知らせを受けたのは、インドの首都ニューデリーだった。07年12月のことである。小野氏が急逝してから、修氏はついていない。これまでの快進撃が嘘のようだ。つきに見放されたかのようにも映る。
(文=編集部)