40代後半に差しかかった人から、「このところ何もかもがむなしくて仕方がない」「仕事はちゃんとこなしているものの、以前のような情熱がなくなってしまった」「自分はどうなっちゃったんだろう」と相談された。
「このままでいいんだろうか?」という心の声が聞こえる
いわゆる働き盛りを過ぎる年代になると、突然むなしさに襲われるというのは、じつによくあることなのである。
もちろん感受性には大きな個人差があり、何かと落ち込みやすい人もいれば、滅多なことでは落ち込んだりしない人もいる。何かにつけて悲観的になる人もいれば、常に楽観的な人もいる。人間味の乏しい職場の人間関係に淋しさを感じる人もいれば、仕事上の人間関係なんてこんなものと達観した感じの人もいる。
だが、40代や50代というのは、どうも多くの人がむなしさを感じる時期のようだ。これまでエネルギッシュに仕事に取り組んでいた人のモチベーションが急に低下したり、常に明るく前向きだった人が元気のない表情を見せるようになったりする。
これまで何の疑問ももたずにいた日常の流れに違和感を覚える瞬間がやってくるのだ。当たり前のように続けてきた仕事生活にも疑問が湧いてくる。
「なんのためにこんなに必死になって、がんばってるんだろう?」
「このまま突っ走ってしまっていいんだろうか?」
「もうちょっと楽しい人生ってないもんだろうか?」
「もっとのんびり生きてもいいんじゃないか?」
「こんな生活がこの先もずっと続くんだろうか?」
そんな声が心の奥底から聞こえてくるようになる。
仕事生活に乱れが生じる
これまでは目の前の現実の要請に追われ、すべきことをこなすだけで、自分を振り返ることなどなかった人も、心の声に誘われ、自分の人生についてあれこれ思いをめぐらすようになる。そうなると現実の歩みに乱れが生じる。
初めて有給休暇を取ったという人は、「これまで休みもせずにがむしゃらに働く自分に酔っていたような感じがあったけど、なんだか冷めてしまったんです。こんなふうに時間を消化してしまっていいんだろか、って思うと……なんていうか、こんな生活はむなしいなって感じて……」というように、むなしさに包まれている心境を吐露した。
これまで自分と会社が一体化している感じだったけど、今の生活に疑問が湧いてくるにつれて、急速に会社が遠のいていく感じがするという人は、
「自分の人生、これでいいのか、これが自分が望む生き方だったんだろうか、っていう思いが強まってきて、生活を変えなくちゃ、って思うんですけど、どう変えていけばいいのかわからなくなって、ほんと行き詰まってます」
と、揺れ動く胸の内を語った。
「こんなはずじゃなかった」
「もっと違う人生もあったはずだ」
というように後悔の念に苛まれるようになる人もいる。
「このままだと、きっと後悔する。生活を変えるなら今のうちだ」
「自分はどんな生き方をしたいんだろう? 何かやり残したことはないだろうか?」
というように閉塞感のある現状を脱したいともがき始める人もいる。
中年期の危機=内向の時期の気づき
中年期の危機ということが言われるのも、多くの人が心の声に誘導され、こうした葛藤に苛まれる時期だからだ。それは、40~50代というのが内向の時期だからだ。外ばかりを見てがむしゃらに生きてきた人でも、自分の内面に目を向けるようになる。
社会に出るに当たって、「自分は何を求めているんだろう」「どうしたら自分が納得できる生き方になるんだろう」「自分らしい生き方ってどんな生き方なんだろう」と自分の内面に目を向けるのが青年期の内向の時期だ。
目の前の仕事と向き合い、社会に適応するためにがむしゃらに働くのが20~30代の外向の時期である。
そして、再び自分の内面に目を向けるようになる内向の時期がやってくる。そうした時期は40~50代にかけて訪れる。いつの間にか惰性で動く毎日になっていることに気づき、若い頃のような情熱や勢いを取り戻したいと思う人が出てくる。仕事は順調で、そこそこ出世もできていて、周囲からは成功者とみなされている人の中にも、そうした人生にむなしさを感じる人が出てくる。
いずれにしても、これまで立ち止まることもなく仕事生活を続けていた人が、自分の生活を振り返り、
「これでいいんだろうか?」
「これが自分の望む人生だったんだろうか?」
「これで後悔しないだろうか?」
といった思いに駆られるようになる。
そこを乗り越えることでひと皮むける
これまで会社での評価を気にして一生懸命に働いてきたし、思うように評価されない自分をダメ人間だと思い、自己嫌悪に浸ることもあったという人は、「でも、突然吹っ切れたんです。そんな尺度で生きるのはバカらしいって思うようになって、会社での評価に振り回されてきたこれまでの生き方をむなしく思うと同時に、なんかスッキリした気分になりました」とさっぱりした感じで経緯を語る。
順調に出世してきた人も、「大切な人生の一幕を組織のための道具としてむなしく駆け抜けてしまったように思えてならないんです」と嘆きつつも、これからはもっと自分が望むような人生にしていきたいと前向きに語ったりする。
このように40~50代の人生の折り返し点を迎えると、これまでの人生をむなしく感じ、新たな方向を模索し始めることが多い。それは、むなしさが方向転換の時期の訪れを知らせてくれたともいえる。
成人の人生を俎上に載せた研究を推し進めた心理学者のダニエル・レビンソンは、成人前期から成人後期への移行期を「人生半ばの過渡期」と呼び、自分の生活構造に疑問を抱くように時期であるとみなしている。20~30代は、与えられた生活構造の中でがむしゃらにがんばる時期だが、人生半ばの過渡期になると、その生活構造そのものに疑問をもつようになるというのである。
上述の事例などは、まさに自分が生きている生活構造そのものへの疑問によるむなしさ、そして生活を変えたいという欲求を示すものといえる。
生活構造の組み替えが人生の折り返し点での課題
時間がまだまだ無限にあると思っていた人生の前半と違い、人生の半ばを過ぎる頃になると、自分の人生全体を展望するようになる。そうした心理について、レビンソンは、次のように説明している。
「過去を見直したいという欲求は、限りある命だという認識が高まり、残る時間をもっと賢明に使いたいという気持から生じる」(レビンソン 南博訳『ライフサイクルの心理学(下)』講談社
自分の今の生活、これでいいのか、といった視点から自分の日常を振り返るようになると、これまでのように無邪気に仕事に没頭できなくなる。ほぼ自動化していた日常に対して、さまざまな疑問が湧いてきて、物足りなさを感じたり、むなしさを感じたりするようになる。仕事の最中も、ふと我に返ると、物思いに耽っていたりする。
疑問が湧くのは、何も仕事生活そのものに対してだけではない。家族との関係に納得のいかなさを感じることもあれば、友人関係に物足りなさを感じることもある。いずれにしても、このままではいけない、なんとかしなくてはといった思いに駆られ、現実生活の歩みに乱れが生じる。
これまでのように仕事に没頭できないため、自分はおかしくなってしまったんじゃないか、自分は結局不適応人間なのかと、不安になったり自己嫌悪に陥ったりする人が出てくるが、じつはそれはごく自然な心の発達の流れなのである。誰でも多かれ少なかれ心が揺れ動く時期なのである。
詩人ゲーテも、つぎのような言葉を記している。
「しばしば人生の流れのなかで、自信に満ちた歩みのさなかに、わたしたちは突然気づくことがある。自分が錯誤にとらわれていたことを。人びとや事物に心を奪われて、目が覚めればたちどころに消えうせる虚妄の関係を、彼らに対してもちたいと夢見ていたことを」 (ゲーテ 岩崎英二郎・関楠生訳「箴言と省察」『ゲーテ全集 第13巻』潮出版社)
そこでの課題は、30代の頃までに確立された生活構造を見直し、これからの人生を見据えて、よりふさわしいものへと組み替えていくことである。より実り多い人生に向けて軌道修正するチャンスともいえる。自分はおかしいじゃないかなどと思ったり、心の声を無視したりせずに、ぜひ前向きに課題に取り組んでみたい。
(文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士)