非常識君が言います。
「僕はがんで、格好良く死にたいのです」
極論君が反論します。
「認知症で老衰は格好悪いですか」
非常識君が答えます。
「がんであれば準備ができるので、それを望んでいるのです。家族に囲まれて、お世話になった人に囲まれて、そしてちょっとした格好いいことを言って、お世話になった人にお礼を言って、送られたいのです。僕の夢で、希望です」
家族で死の話を日頃からしておく
極論君も希望を言います。
「食事も取れない。点滴もしない。そうするとどんどんと痩せてきます。カラカラになって、菩薩さんのようになります。カラカラですから病気の匂いもしません。褥瘡(じょくそう)もありません。そして点滴などの医療を行っていないので、子供や孫やペットに一緒に布団に入ってもらえます。そんなぬくもりのなかで死にたいのです。僕は格好いい言葉を残さなくていいのです。不要な医療は無用で、でもできれば長生きして大往生したいのです。そんな虫の良い夢で、ささやかな希望です」
常識君が言います。
「病気を選ぶことはできませんね。死ぬ時期を決めることもできませんね。いろいろな病気の治療は相当進歩していますが、認知症の治療はあまり進歩していません。高齢化すれば認知症が増えることは間違いない事実です。極論君のように、認知症になっても送ってくれる家族がいれば幸せですね。でもその家族が若くして認知症になったら、それはまた困りものですね。何よりも認知症の治療が格段の進歩を遂げることを心から期待しています」
そして常識君が最後に付け加えました。
「自分で死を考えること、そして家族で死の話を日頃からしておくことは結構大切だと思います。そうすると毎日、毎日を大切に生きるようになります。また、特別幸せでなくても、平凡な毎日が実はとても大切と思えるようになります」
(文=新見正則/医学博士、医師)