がん、すべて医師任せでよいのか?がん恐怖症候群蔓延、健常者の20倍の自殺率か
日本人のがん恐怖症候群には、「がん」という言葉の響きも少なからず関係しているように思います。がんには、固く、頑なで、手強いイメージがあります。心に強い衝撃を受けたことを表す「ガーン」という擬態音にも通じます。
たとえば、病名が「ぴょん」だったら、イメージは今とはだいぶ変わっていたのではないでしょうか。「胃ぴょん」「乳ぴょん」などといえば、そこまで怖い印象はありません。「子宮ぴょんになっちゃった」「えー! ぴょんなの?」といった会話をしていれば、絶望感や恐怖感も薄らいでしまいそうです。もし私ががんになったら、がんとはいわず「ぴょん」と呼び、心にゆとりを持って病気と向き合っていきたいと思います。
こうした話をすると「不謹慎だ!」「ふざけたことを言うな!」とお叱りを受けそうですが、呼び名によって病気に対するイメージが変わってくることは事実です。イメージが変われば気持ちも変わってきます。そして、気の持ちようが変われば、身体の働きも確実に変わってくるのです。
がんを敵視してはいけない
一部の遺伝性やウイルスによるものを除いて、がんは自分の生活習慣によって自らつくったのです。がんは自分で生み出し、育てたものであり、いわば自分の子どものようなものといえます。
私にも二人の息子がいるので、よく我が子にたとえてお話しするのですが、自分の子が急に家で暴れるようになり、このまま放っておくと将来的に家族を崩壊させるようなことを引き起こしかねないという状況になったとしたら、あなたはそのとんでもない悪さをする子どもにどう対応するでしょうか。
「そんな危険な子どもは、我が家には置いておけない。一刻も早く出て行ってもらおう」と、躊躇なく家から追い出しますか。
また、我が子が何か問題を起こし、警察から電話があったとしたら、「家でも持て余しているので、そちらで引き取ってください」と無責任なことを言いますか。
それよりも、「愛情をかけてきたつもりなのに、どうしてそうなってしまったのだろう」と、それまでの育て方を見直すのではないでしょうか。そして、「この子だって根っから悪いわけではない。なんとか悪さをしないよう今から育て方、接し方を変えよう」と必死に考えるのではないでしょうか。