安倍新総裁の命運も握る!?記事を書かない新聞記者たちとは?
新聞社は、記者が訴えられた場合、その訴訟費用を購うことはできない。なぜならば、その記者が不当行為を実際に働いていた可能性もあり、企業としてはかかわれないのである。法律上は、補助者として、その訴訟に関与することはできる。
かように、時の総理がひとりの記者を訴えるということの意味は、極めて大きく、その記者個人の問題ではなくなる。
別々の新聞社とはいえ、各社の政治部記者たちは、いまでも同業の集団つまりギルドであるという意識も強い。しかも、安倍氏が訴訟の対象とした編集員は、記者仲間の信望の厚い人物であった。小泉内閣における飯島氏のような存在があったとするならば、違った対応になったとも考えられるが、どうだろうか。
自民党の総裁として、史上初めて返り咲いた安倍氏は、これからどのように記者と接触していこうとしているのだろうか?
皮肉にも、あるいは当然というべきだろうか。その答えは、朝日新聞による安倍氏に対する総裁就任後のインタビューにある。10月3日付朝刊の一問一答を引用する。
ーー安倍さんはメディアと対立することもありましたが、今後はメディアとどう向き合いますか。
「かなり画期的に変わったんじゃないですか。ハハハ。直接国民に訴える機会は、演説会なら多くても数千人。多くの人はマスコミを通して私の意見を知る。だから、それが正しく伝わるように努力をしなければいけないと思いますね」
●政策をも左右するメディアとの関係
旧大蔵省や旧通産省、現在の財務省や経済産業省など、霞ヶ関の主要な官庁の事務次官の経歴をひもとくとき、広報室長の経歴を持つ者が多いことは、一般には意外な事実であろう。政策を実現する上で、メディアとの関係をどのように築くか、それがいかに重要であるかを知っているのである。
かつての自民党の長期政権の中では、時の総理は国内の政治記者ばかりではなく、外交政策の重大な局面では、東京に駐在している、ニューヨークタイムズやワシントン・ポストなどの記者とのインタビューをどのように設定するか、知恵を絞ったという記録が残っている。
それは、国内の記者たちと日常的に接する中で、メディアとの関係をどのように築くかに政権の行方がかかっていることを知っていたからである。
民主党政権はどうか? そうした戦略があるようには、まったく見えない。尖閣諸島の問題について、ニューヨークタイムズが中国に理があるとするコラムを掲載したあとで、二ューヨーク総領事に抗議させる始末である。
●「言うだけ番長」前原政調会長
今年2月下旬、「言うだけ番長」と産経新聞に書かれて、記者を懇談から締め出した当時の前原誠司政調会長に至っては、論評にすら値しないのはもちろんである。 そもそも、前原氏に対するこの言葉は、写真週刊誌・フライデーが命名したものではなかったか。プロ野球の清原選手の独白という、虚構の「番長シリーズ」があった。清原選手はかえって、このシリーズを楽しんでいるように、突撃インタビューに答えもした。
政治家と番記者は、その距離感をどのように保ったらよいのか?
その答えはない。ただ、いまの距離感とは違ったものがあってもよいのではないかと思う。
『ドキュメント副知事 猪瀬直樹の首都改造・一八〇〇日』(講談社/西条泰)は、ひとつの新しいスタイルを示しているかもしれない。
●政治家と番記者との新しい関係
著者の西条は、読売新聞記者から外資系の製薬会社の広報を経て、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)報道記者となり、今年8月まで都庁担当記者として猪瀬副知事の番記者だったのである。
都議会によって、無任所つまりラインの部署をもたない副知事として、就任直後は手足を縛られたかに見えた猪瀬氏のその後を、共に歩んだように書かれている。
しかしながら、そこには、番記者の著作にありがちな、政治家の活動にあたかも自分の報道が影響を与えたかのような表現はない。不思議なことに、東京のローカル局として、取材費がふんだんにあるとは思えないのに、猪瀬氏が東京の水道事業を海外に売り込む海外出張に唯一の随行メディアとしてついていったり、作家の三島由紀夫について、石原慎太郎知事と猪瀬氏の異なる評価をそれぞれの肉声で記録したりしている。
番記者とは何か、そして、これから番記者はどのように変わっていったらよいのか。メディアが考える上で、一読に値する。
また、政治にかかわる人々が、周囲にいる記者たちとどのような距離感を保ったらよいのか、それを考える上でも役立つのではないか。
というよりは、メディアを通じて、政治家として自分の言葉をどのようにして伝えて、自らが掲げる政策を実現していったらよいのかを考えるためにも。
(敬称略)