比較第一党を目指すと言っていた民主党は、選挙前の議席から3分の1にまで激減する歴史的な大惨敗を喫した。期待された「維新旋風」は起こらず、第三極は台風の目にはならなかった。
12月17日未明、日本維新の会の最後の当選者が読み上げられた。公示日直前には、100議席を超えるとの報道もあったが、小政党の乱立とともに存在感を失い、最終的に54議席の獲得で終わった。
自民党は単独で、294議席。自公では、320議席を突破。前回、民主党単独で308議席を取ったことを振り返ると、オセロがきれいにひっくり返った形だ。
開票直後、維新の会の石原慎太郎代表も、橋下徹代表代行も沈黙していた。橋下氏は21時をまわっても厳しい表情を崩さなかった。
時折笑みを浮かべてはいたが、この日、両氏が終始不機嫌だったのも無理はない。当初、「自民党が第一党になっても、自公での過半数は難しい」と見ており、参議院が依然としてねじれていることを挙げて、「来年の参議院選挙をどう戦うかは衆院選の結果次第。我が党は、キャスティングボードを持てる数は取れる」と、石原氏も橋下氏も豪語していた。
維新の会の合計54議席の内訳は、小選挙区14、比例代表40と、比例では民主党を抜いたが、小選挙区では大阪を除いて、大惨敗といっていいだろう。
●維新の会に渦巻く怨嗟の声
維新の会から出馬した新人候補者の間には、怨嗟の声が渦巻いていた。
「我が党では、著名な候補者が比例単独の上位を占めていた。彼らを当選させるために、身銭を切って戦ったのかと思うとやりきれない。党からはなんのフォローもなかった。石原さんどころか、頼みの橋下さんも選挙区に入ってくれなかった。騙された気分ですよ」(同党新人候補者)
大阪でこそ、一定の存在感を示せたが、東京選挙区での維新候補は、東京19区で比例復活したのみで、その他の2議席は単独比例の候補者と、まったく存在感を示せていなかったが、致し方ないだろう。
実は関東では、当初の有力候補者が、選挙期間の短さと、太陽の党と維新の会の合併に伴う騒動に不信感を抱き、公示直前で降りてしまったのだ。
「結果として、まともな候補者を擁立することができなかった」と、維新の会関係者は明かす。
●ふわっとした民意
一方、自民党の幹部は勝ち誇った顔で、次のように分析してみせた。
「橋下さんはしきり『ふわっとした民意』と言っていた。逆を言えば彼は、『ふわっとした民意』さえ掴めれば、簡単に100議席は取れると思っていたのでしょう。それは甘いというものです」
1993年に日本中を熱狂させた日本新党ブームの時でさえ、35議席の獲得に過ぎなかった。それと比較すれば、今回の54議席は、大成功であるとも言える。
●維新の会内部の軋轢
とはいえ、「第三極」の結集が失敗したのは疑いようもない。みんなの党との数を足せば、今回民主党が獲得した57議席を楽に上回り第二党となれた。
維新の会関係者は怒りをもって次のように話す。