没後30年!松田優作はこんな暴力事件を起こしていた !! これもカリスマの証 !?
あなたにとって「懐かしい」とは、どんな情景でしょうか? 1970~90年代の「懐かしい」を集めたのが「ミドルエッジ」。あなたの記憶をくすぐる「懐かしい」から厳選した記事をお届けします。
今回のテーマは、1989年11月6日に亡くなり、没後30年を迎えた松田優作。そんな彼が起こした「暴力事件」を振り返ります。若手時代、アクション俳優として鳴らした松田優作の血気盛んだったころのエピソードを紹介していきます。
『太陽にほえろ!』で一躍脚光を浴びた松田優作
狂気を帯びたヤクザ役を熱演した遺作『ブラック・レイン』(1989)をはじめ、小説家・有島武郎に扮した『華の乱』(88)、エキセントリックな家庭教師役を好演した『家族ゲーム』(83)など、30代以降、数々の名作映画で存在感を発揮してきた松田優作。晩年は演技派俳優・性格俳優として評価されていた彼ですが、20代前半の頃はアクション俳優として名を馳せていました。
松田のアクション俳優としての代名詞的役柄といえば、ドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)で演じた柴田純ことジーパン刑事でしょう。特に「なんじゃあこりゃぁぁっ!!」と絶叫した殉職シーンはあまりにも有名です。また同作では、185cmの長身に引き締まった肉体、そして、空手2段という経歴を活かした派手なアクションシーンも多用され、多くの人を魅了しました。
若い頃は血の気が多かった
この『太陽にほえろ!』で一躍有名俳優の仲間入りを果たした松田でしたが、元来の血の気の多さが災いして、いくつかの暴力事件を起こしています。
1974年3月には、雑誌記者に暴力をふるったという報道がありました。こちらはマスコミによる誇張表現で、事実は単なる押し問答程度でした。翌75年には新宿のバーにて同じ記者を殴ったとして警察の事情聴取を受けることになります。こちらもケガ人が出たわけでもなく、大ごとにはならなかったのですが、同じ年にあってはならない事件が起こってしまいました。
1975年7月、鹿児島で刑事ドラマ『俺たちの勲章』(同)の打ち上げが行われました。松田らは深夜まで地元の女性たちと酒を飲み泥酔。店を出た後、些細なきっかけから松田と連れの女性が口論となり、そこへたまたま通りかかった当時19歳の予備校生が仲裁に入りました。すると松田は激昂して、あろうことかその予備校生に暴行を加えたのです。
懲役10月、執行猶予3年の有罪判決を受ける
結果、予備校生は全治3カ月の大けがを負うことに。その後、任意出頭を求められ書類送検。翌76年1月には新宿警察署により逮捕され、身柄を東京拘置所に移されます。そして、傷害の容疑で起訴され、東京地裁にて懲役10カ月・執行猶予3年の有罪判決を受けるに至ったのでした。本人も未成年に危害を加えてしまったとして大いに反省し、約1年間テレビドラマのレギュラー出演を自粛しました。
が、映画のほうの復帰は意外にも早く、有罪判決を受けたわずか3カ月後。しかも、そのタイトルは『暴力教室』(76)。舘ひろしやクールスメンバーが演じる不良たちに立ち向かう教師として、鬼気迫る演技と鉄拳制裁アリのアクションシーンを披露しています。有罪判決を受けて間もないのに、このタイトルとこの内容……今では絶対に許されないでしょう。
この連載では次回以降も皆さまの脳裏に「懐かしい」が蘇りそうな記事を提供してまいります。「こんな記事は?」「あのネタは?」なんてお声も、お待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。
(文・構成=ミドルエッジ)