だが、こうした困った隣国・中国に、わざわざ住む日本人たちがいる。統計上、その人数は実に14万人余り。中国は、アメリカに次いで世界で2番目に邦人数が多い国でもあるのだ。
昨年12月15日、角川書店から刊行された『和僑』は、こうした在中日本人たちの姿を余すところなく描写した本である。書中で登場するのは、副題にある「農民、やくざ、風俗嬢」から、日中友好活動家や大企業の現地駐在員まで含めた、年齢も収入も職業も多種多様な人々ばかりだ。
彼らが現地に住むことで見えてきた中国とは何か?
また、中国から見た日本はどういうものか?
著者のノンフィクション作家・安田峰俊氏に詳しく話を聞いた。
ーー「和僑」とは、どういう意味でしょうか?
ーーネットで「和僑」を検索すると、「和僑会」などのビジネス系サイトがよく引っかかります。また、「日経ビジネス」や「週刊ダイヤモンド」などで、「日本の若者よ、海外に飛び出して和僑になれ!」というような記事も多いですね。
安田 ビジネス系の文脈で、海外起業家を指す言葉として使われることも多いようです。ただ、そもそも「和僑」という言葉自体、もとは「華僑」をもじって2000年代につくられた造語だし、辞書で漢字の意味を調べても「海外で起業するビジネスマンを指す」とは書いていない。なので、この本では必ずしもビジネス系に限定しないで、もっと広い意味で使うことにしました。もちろん、本の中にはマカオで投資業を営む富豪や、上海で暮らすビジネスマンも出てきますけどね。
ーーそもそも、執筆のきっかけはなんだったのでしょうか? 「はじめに」には、ネットで面白い記事を見つけたからだ、と書いてありましたが……。
安田 昨年8月頃に、暇つぶしにネットサーフィンをしていて、日本人が書いた「中国の田舎に住んでるけど質問ある?」という記事を見つけたんですよ。よくある「2ちゃんねる」のまとめブログの記事だったのですが、内容がメチャクチャ面白かった。
書き込みによると、スレを立てた人は中国奥地の雲南省の少数民族・イ族の奥さんと結婚して、彼女の地元の農村にずっと住んでいる。で、村では若者が山賊になったり、臓器売買や人身売買目的の誘拐が多発していたり、中央から派遣されてきた漢民族の村長を村人総出で追い出したりしていると。
ーーディープですね。なんでまた、日本人がそんな場所に住んでいるのでしょうか?
安田 やはりそう思いますよね。私たち日本人の常識からすると、中国の農村って、とにかく“ヤバい”というイメージが強いわけじゃないですか。治安が悪そうだし、何よりも衛生的に危なそうな気がする。で、彼の話としても、事実として山賊とか人さらいが普通にウロウロしているらしい。なのに、この彼は「2ちゃん」のスレ内で「でも、結構幸せ」とか書いてる(笑)。
「なんとか本人に会って、現地に住んでいる理由を聞いてみたい」と思い、雲南省までアポなしで彼を捜索しに行くことにしました。手がかりは、元スレに「雲南省の石林イ族自治県に住んでる」と書いてあったことと、スレ中でアップロードされた、近所の市場を撮影したとおぼしき一葉の写真だけで。
ーー大胆というか無謀というか……。
中国と、どのように付き合えばよいのか?
ーーどのような話を聞かれたのですか?
安田 いろいろ興味深い話があって、詳しくは書中で、ということになるんですが……。ただ、「中国とは要するにどういう場所で、日本人は中国とどうやって付き合ったらいいのか」という問題への、ひとつの解答例を出している感じはしましたね。
まず彼は、「中国の社会はわけがわからない」ということを素直に認めている。でも、その上で、自分の人生で一番大事なルールーー例えば「家族みんなで幸せに暮らす」ということーーだけはブレずにちゃんと持ってて、あとは中国社会のカオスに身を任せて、現地で起きるヘンなことに臨機応変に対応している。
ーーなるほど。
安田 これって、ヒロアキさんだけじゃなく、この本の登場人物たちの中で、中国の社会に彼らなりの“適応”ができている日本人の多くに共通する特徴でもあったんですよ。逆に、ガチガチに硬直した立場で中国と向き合ったり、「中国は反日/親日」「民衆は民主化を求めている」「中国は徹底的な全体主義国家だ」など、何か固定的なイメージに基づいて“決め打ち”で中国を理解したつもりになっていると、思わぬしっぺ返しを食う。中国はとにかく国土が広くて人間が多いので、そういうステレオタイプな先入観の例外になるようなことは、いくらでもありますからね。
これは僕自身もよく感じていることなんですが、よい意味で「不真面目」なユルい考え方ができないと、日本人が中国と付き合っていくのは難しいのだろうなあと感じることは多いですね。
ーー第2章と第3章に登場する「風俗嬢」についてのお話も聞かせてください。
安田 香港の近くに、1999年にポルトガルから中国に返還された、マカオという街があります。あそこは特別行政区なので賭博が合法、売買春も中国本土と比べるとはるかにオープンな欲望の街です。そこの「夜総会(連れ出しありのナイトクラブ)」や「サウナ(中国式のソープランド)」に、わざわざ出稼ぎをしている日本人風俗嬢がいるという話を聞いて、例によって八方手を尽くして探し回りました。で、当事者に会って、じっくり話を聞いてみたわけです。
世界を股にかける風俗嬢
ーー読んで驚きましたが、こちらで登場する海外風俗嬢「ヒカルさん」という方もすごい人ですよね。
安田 そうですね。苦労の末に探し当てたヒカルさんは、過去にはオーストラリアのメルボルンから、スペインのマドリード、果ては福島第一原発の近所の街まで、文字通り「世界を股にかけて」仕事をしている、超グローバル風俗嬢だった(笑)。で、最近は中華圏の経済発展の影響で、マカオをはじめ、上海やフフホトなど中国大陸での仕事が増えていると言うんです。
彼女にはある“秘密”があって、それで夜の仕事を選んでいる事情もあるわけなんですが、常に仕事の中に面白さを見いだすタイプみたいなんですよね。で、中国の悪い女衒(ぜげん)にボッタくられたり、逆に自分の年齢をごまかして働いたりしながら、ロマンと一攫千金を求めて海を渡っているらしい。そして「自分の人生、それなりに幸せ」だと語ってしまう。
ーー不思議な人です。
安田 実は最近になって、ある雑誌社の記者さんと一緒に、別件で彼女の話を聞きに行く機会があったんですが、その記者さんも「うわあ、本のキャラクターのまんまだ」とヒカルさんのファンになっていました(笑)。非常にユニークで、頭の回転が速い人なんです。
かなり規格外ではありますが、こういう種類の「海外で活躍できる人材」もいるわけなんですよね。海の向こうでも日本と同じ仕事をして、バリバリ通用する人材に最も必要とされる要素は、ITスキルとか語学力とかではなくて、常にプラス思考でドンと根性が座っていることなんだなと。意外と普遍的な教訓を得られたりする。
本書にはほかにも、充実しすぎた福利厚生のおかげで超豪華マンションに住んでいる大企業の上海駐在員や、そんな「内向き」の日本人社会の治安維持を担っている現地在住の日本人やくざ、日中友好活動家から「ネット右翼」的な政治思想に転向した老女など、中国の夕闇にのみ込まれたさまざまな日本人たちが登場する。
「意識高い系」国際人を目指さない人々
ーー本書の全体テーマはなんでしょうか?
安田 「日本人にとって中国とは何か、日本人は中国とどう付き合うか」を念頭に置いて書きました。ただ、書き上げてから感じるんですが、「グローバル化していく世界に対して、エリートじゃない庶民は、どうやって対応して幸せになっていくか」というのもテーマに含まれているのかなと。
ーーそれはつまり?
安田 最近って「行き詰まった日本を捨てて海外へ飛び出せ! 若者よ和僑になれ!」みたいな、熱い意見がすごく多いじゃないですか。で、英語や中国語がペラペラで、ITと会計とプレゼンに長けたスーパービジネスマンたちを、ビジネス誌がこぞって特集して称賛したりする。
ーー最近多いですよね。
安田 グローバリズムと新自由主義経済が進んでいく中で、着実に「勝ち組」になれるのは、きっとそういうパワーエリート型の国際人なんだろうと思います。で、それを目指す「意識高い系」の若い人たちがたくさんいる。
でも、ほかならぬ僕自身を含めてなんですが、そういう「意識高い系」国際人になれない人や、なりたいと思わない庶民気質の人は、グローバルな環境にどう対応したら幸せになれるんだろうと。その答えは、まだ世間に提示されてないと思うんですよ。
ーー確かに。でも、実はそういう普通の人が、世の中の大部分なんですよね。
安田 本書は、装丁や副題はちょっとおどろおどろしいですけど、なんだかんだでそういう問いへの回答のモデルケースを出そうとした本なのです。「意識高い系」の国際人じゃなくても、グローバル環境で幸せになる方法はあるんだよと。
例えば大企業の一部の「内向き」駐在員みたいに、中国社会に背を向けて日本語だけで生活するのも、企業戦士として優秀か否かという問題をさて置けば、個人の生存戦略としては決して間違いじゃない。本人が「ヘタに海外の価値観の影響を受けたら、日本帰国後にかえって生きにくくなる」と考えていて、日本人としての普通の暮らしの先に自分の幸せがあると思っているなら、海外に身を置いて、なお現地に溶け込まない生活を選んだって別に構わないはずなんです。
一方で、雲南省で農民をやっているヒロアキさんみたいに、現地社会の内在論理にどっぷり浸かって「脱日本人化」するのも、やっぱり間違いではない。それが自分と家族にとって最も幸せな方法だと思う信念があるなら、それでいいわけです。
ーーなるほど。
安田 グローバルな社会では、自身を取り巻く環境の変化がすごく激しいし、周囲にいろんな意見や価値観があふれていて、何が正しいかわからないわけじゃないですか。でも、そういう変化に対して、常に真面目にキャッチアップしていったら疲れてしまう。だから、変化を適度にスルーする鈍感力を持ちつつ、自分にとって一番大事なことが何かだけは明確に意識して、それを保つ生き方をするのが、“グローバル庶民”として僕らが生き抜いていくコツなのかなあと。
これって、「日本人は中国とどう付き合うか」とも共通する結論なんですけどね。「相手と真面目に向き合い過ぎないで、スルースキルを鍛える」、でも「譲れない部分は絶対にブレない」という。読んでいただいた方に、そういう要素が伝わるとうれしいなと思います。
(構成=編集部)
●『和僑 農民、やくざ、風俗嬢。中国の夕闇に住む日本人』
(角川書店)2012年12月15日刊行 1800円(税別)
「日本人であること」を過剰に意識してしまう場、“中国”、そこで暮らすことを選んだ日本人=“和僑”、嫌われている国をわざわざ選んだ者たちの目に映る、日本と中国とはーー?
●安田峰俊(やすだ・みねとし)
1982年滋賀県生まれ。ノンフィクション作家、多摩大学経営情報学部「現代中国論」非常勤講師。弊社中国語版サイト「晒蔵」の特任編集顧問も務める。アジア、特に中華圏の社会・政治・経済事情に通じた気鋭の若手作家。著書に『中国・電脳大国の嘘』(文藝春秋)『独裁者の教養』(星海社新書)など。BBC中国語版に再三中国語記事を寄稿するなど、中国語に堪能である。