日本のお札に最多登場の人物は? 二宮尊徳は何円札だった? …紙幣の肖像を振り返る
あなたにとって「懐かしい」とはどんな情景でしょうか? 1970~90年代の「懐かしい」を集めたのが「ミドルエッジ」。あなたの記憶をくすぐる「懐かしい」から厳選した記事をお届けします。
今回のテーマは、「昔、流通していた紙幣」。夏目漱石、新渡戸稲造、聖徳太子など、懐かしい肖像画が刻印されたお札たちを振り返っていきます。
最初の千円札はヤマトタケルの肖像画だった
2024年、紙幣のデザインが20年ぶりに一新されます。1万円札の顔となるのは、日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一。5千円札には津田塾大学の創立者・津田梅子。千円札には日本の細菌学の父・北里柴三郎がそれぞれ起用されることになります。
そもそも、1万円札、5千円札、千円札、それぞれにおける「最初の顔」は誰かご存じでしょうか?
まず千円札の起源は、1945年8月にまでさかのぼります。第二次大戦後のインフレ対策として、当時とてつもなく高額な“千円札”が発行されたのですが、その顔となったのは日本古代史の英雄・ヤマトタケルでした。この紙幣は翌1946年に実施された通貨切替政策「新円切替」に伴い同年3月に失効したため、わずか7カ月しか通貨としての役割を担っていない幻の紙幣です。
こうして一度はなくなった千円札ですが、1950年に聖徳太子の肖像画を用いた日本銀行券として再登場。その後、「千円札の顔」の座は、1963年に初代内閣総理大臣・伊藤博文、1984年に『吾輩は猫である』『坊っちゃん』で知られる小説家・夏目漱石、2004年に現在の黄熱病の研究で著名な学者・野口英世へと引き継がれていきました。
聖徳太子は7回も紙幣の顔になっていた!
一方、5千円札と1万円札は、それぞれ1957年、1958年に発行開始されており、その顔となったのはいずれも千円札と同じ聖徳太子でした。ちなみに、聖徳太子は乙百円券(日本銀行兌換券・1930年発行開始)、い百円券(日本銀行券・1944年発行開始)など、戦前・戦中で2回、戦後で5回、合わせて計7回と、日本でもっともお札の“顔”になった人物として知られています。
そんな聖徳太子から始まった両紙幣は、5千円札が1984年に「武士道」の著者として名高い新渡戸稲造、2004年に『たけくらべ』『にごりえ』で知られる女流作家・樋口一葉へと変遷。1万円札は1984年に福沢諭吉が起用されて以降、現在に至るまで日本最高額紙幣のシンボルとして君臨しています。
二宮尊徳や菅原道真もかつてお札に!
なお、日本の紙幣には実にさまざまな人物の肖像画が使用されてきました。我が国最初の肖像画入り紙幣である改造紙幣の1円券、5円券、10円券に起用されたのは神功皇后。明治期に活躍したイタリア人画家・エドアルド・キヨッソーネによるデザインのため、外国人女性風の風貌になっているのが特徴です。他にも二宮尊徳(一円券)、板垣退助(百円券・50銭札)、菅原道真(5円札)などが、各時代の紙幣を彩ってきました。あなたにとって印象深い紙幣はいったいなんでしょうか?
この連載では、次回以降も皆さまの脳裏に「懐かしい」が蘇りそうな記事を提供して参ります。「こんな記事は?」「あのネタは?」なんてお声も、ぜひお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。
(文・構成=ミドルエッジ)