中国を中心に感染が拡大している新型コロナウイルスが、100年ぶりの「パンデミック(病気の世界的な流行)」を引き起こす可能性が高まっている。筆者は1月17日付コラムで「新型コロナウイルスはSARS以上に猛威をふるう可能性がある」と指摘したが、足元で起きている現実はその想定をはるか上回ってしまった。
SARSは感染すると短期間で重症化する傾向があったが、新型コロナウイルスの場合、潜伏期間は10日間と長く、軽症患者も多いため、感染者を発見するのが難しい。新型コロナウイルスの死亡例には発熱の症状を示さなかったケースもあり、空港や駅などに設置された発熱検知装置で感染者の入国を水際で阻止する対策が有効に機能しないことがわかってきている。感染力も高いことが判明しており、武漢市でも「1人の患者から14人が感染するケースが生じている」という。
SARS(重症急性呼吸器症候群)流行時には、感染者のなかに1人で十数人に感染を広げる「スーパースプレッダー」が出現して話題を呼んだが、新型コロナウイルスでもすでに多数の「スーパースプレッダー」が出ていてもおかしくないだろう。北海道大学の西浦博教授(理論疫学)は24日、「中国での感染は5500人規模に広がっている」とする推計結果を明らかにした。理論疫学とは、構築した伝播モデルにより感染症の拡大を予測する学問分野である。
世界の専門家を驚かせたのは、1月21日から22日にかけて武漢市で調査を行った香港のSARSの専門家が「保守的に見積もっても、今回の新型コロナウイルスの感染規模はSARSの最終的に10倍(8万人)以上になるだろう。武漢はすでに制御不能だ」と述べたことである。
SARSは2002年11月から2003年7月にかけて世界37カ国で流行し、感染者数は8098人、そのうち774人が死亡した。致死率(感染して病気になった場合に死亡する確率)は約10%だった。だが、この専門家の予測もすでに楽観的なものになってしまったのかもしれない。真偽のほどは定かではないが、武漢市の看護師は25日にSNSに投稿した動画で「すでに9万人の感染者がいる」と発言しているからだ。
武漢市では感染拡大を防止するため、23日から飛行機をはじめとする公共交通機関が停止されたが、「封鎖されるまでに500万人もの無症状感染者が武漢市及びその周辺地域を後にした」との指摘がある(1月26日付ZeroHedge)。
感染者は25万人を突破との分析も
とどまることを知らない感染拡大だが、今後はどうなるのだろうか。
英国の専門家グループ(理論疫学)は25日、「世界の新型コロナウイルスの感染者は2月4日に25万人を突破する」とする驚くべき分析結果を発表した。事態の急激な悪化を踏まえ、専門家の間では「SARSではなくスペイン風邪の事例を参考にして新型コロナウイルス対策を講ずるべきではないか」との声が出ている。スペイン風邪とは、1918年から19年にかけて世界的に流行したH1N1型のインフルエンザである。当時の世界人口は約20億人だったが、その大半が感染し、1年半という短期間に5000万人以上が死亡したとされている。
日本では「新型コロナウイルスの致死率は3%と低く、過剰に心配する必要はない」とのコメントがよく聞かれるが、スペイン風邪の致死率は「2.5%以上」と意外に低かった。このことは「致死率が低いウイルスのほうが、スーパースプレッダーが出現する可能性が高く、より多くの人が感染し、パンデミックが起きやすい」ことを意味する。
古い防災の常識では、「災害に関する情報をありのままに伝えると、一般の人々はパニックに陥り、かえって救助の妨げになる」と考えられてきた。だが最近の研究では、「実際のパニックが起きるケースは希であり、むしろ都合の悪い情報を無視してただちに行動を起こさない」という特性(正常性バイアス)が問題視されている。
1968年の香港風邪以降、パンデミックの経験がないことから、筆者は「感染症の脅威について、日本は世界で最も『正常性バイアス』の傾向が強い社会になっているのではないか」と懸念している。新型コロナウイルスの「人~人感染」が日本で発生するのは時間の問題である。新型コロナウイルスで重症化し亡くなる感染者の多くは、持病を抱える高齢者であることがわかっており、世界に冠たる超高齢社会である日本で最も多くの死者が発生する可能性すらある。
香港当局は新型コロナウイルスの蔓延が軽微である(感染者が5人)にもかかわらず、25日に最高レベルの警告である「緊急事態」を宣言した。日本でも安倍首相が26日、武漢市から日本人を救出する措置を明らかにしたが、この問題を「危機管理」と位置づけ、自ら陣頭指揮を執るべき時期に来ていると認識すべきではないだろうか。
危機管理の要諦は「悲観的に想定・計画する」ことである。中国政府は25日、武漢市に人民解放軍の衛生要員450人を配置したが、日本も生物兵器に精通する自衛隊の専門部隊を投入するなど、あらゆるリソースを投入する覚悟でこの問題に対処すべきである。
(文=藤和彦/経済産業研究所上席研究員)