英国で現代奴隷法(Modern Slavery Act)という法律が昨年、制定されたことをご存じでしょうか。同法では人身売買、(家庭内含む)強制労働、借金のかたによる労働、性的搾取、強制結婚などの「現代の奴隷」に英国企業が加担することを抑止することを目的とするもので、英国で事業または事業の一部を行い、商品やサービスを提供している全世界での年間売上高が3600万ポンド以上の企業約1万2000社が対象とされています。英国に法人を置き、同規定に該当していれば日本企業も当然対象となります。
「奴隷」は昔の話ではないのかと思う方も多いと思いますが、現代でも奴隷に相当する労働に従事することを余儀なくされている人は少なくありません。豪州のNGOであるウォークフリー財団が発表している「Global Slavery Index調査」では、世界で約3850万人もの人々がそうした労働環境下に置かれているとされています。各国の総人口比では、アフリカの国々が上位に挙げられますが、数でいえば最大はインドで約1429万人が該当しています。日本企業との関わりの深い国々でも、こうした問題と無縁ではありません。例えば、マレーシアのパーム油産業やタイの水産業における人身売買や強制労働の問題は近年、大きな社会問題となっています。
同法では、自社事業の関わるすべてのサプライチェーン、すなわち英国内外、直接・間接問わず、世界中すべての企業との取引において、現代の奴隷に加担していないことを確認するために企業が取っている方策を毎年公表する義務が課せられることになります。報告義務は2016年3月31日以降に会計年度が終了する企業から発生しますので、対象企業は4月1日以降、速やかに報告を行う必要があります。実際の運用に際しては、混乱も生じると思われます。なお、いまだ多くの企業において準備ができていないとみられていることから、英国ではETI(Ethical Trading Initiative)などのNGOが企業と連携しながら、その対応策を検討しているようです。
同法が制定された背景には、グローバルに広がる企業取引において、そのサプライチェーンの下流にある企業の調達行動を制限することで、上流企業が引き起こす社会・環境・人権等の問題を予防する「CSR(企業の社会的責任)調達」「サステナブル調達」がグローバル企業を中心として、一般化していることが挙げられます。多くのグローバル企業が取引先に対し、調達基準を示し、それを遵守することが取引条件となっています。
日本でも23万人が奴隷労働に従事
しかし、こうした企業の行動はあくまで、各企業の自主的な努力に委ねられているものです。法的な強制力はありません。国連は11年に企業が人権侵害に関与することを予防すべく、「ビジネスと人権に関する指導原則」を策定していますが、これも強制力のないガイドラインにすぎません。あくまで企業の自主的なCSRに対する取り組みを補完する、促す役割としてのものでした。
ところが、内戦等の原資に使われる可能性のあるレアメタルなどの鉱物資源、いわゆる「紛争鉱物」の取引を規制する法律が10年、米国ドッド・フランク法内に規定されたことを機に、この潮流に変化が生じています。紛争鉱物が市場に出回らないよう、企業行動を法律によって抑制させることになったのです。市民社会からも、企業の人権侵害等に対し、罰則を含めた法的規制の強化を求める動きも強まっています。さらに、この英国・現代奴隷法では強制労働や人身売買等の人権侵害行為全体がその問題の対象となったという点も注目すべきです。紛争鉱物という特定分野だけが対象ではなく、広く「現代の奴隷」にあたる行為が対象となったのです。
ウォークフリー財団の調査では、日本でも約23万人が現代の奴隷労働に従事させられていると報告されています。この主な対象は、米国国務省が毎年発表する「人身売買報告書」でも指摘されている性風俗産業に関するものです。また、今や農業や製造業現場では多くの「技能実習生」が事実上の外国人労働者として働き、日本の産業を下支えしていますが、この実習制度の現場でも、人権侵害が生じていると指摘されています。
日本は東京五輪を20年に控え、特に今年はG7サミット開催国でもあります。日本企業が関わる現代の奴隷や日本政府の取り組み姿勢は国際社会からも強く注目されるでしょう。
日本は国際労働機関(ILO)の8つの基本労働条約のうち、「強制労働の廃止」(105号) と「雇用と職業における差別待遇の禁止」(111号)の2条約を批准しておらず、人権問題に対しては必ずしも積極的な立場にはないことから、英国のような制度が日本ですぐに制定される可能性は低いでしょう。しかし、米国、英国が投じた「変化」が、グローバルな変化へと拡大する可能性は十分にあります。
なんといっても、サプライチェーンがグローバルにつながっている現代においては、米英の法律はあくまで自国企業を対象としたものであっても、間接的に日本企業にも波及するのです。今後、英国・現代奴隷法に相当する法律が他国でも策定されていく可能性もないとはいえないだけに、日本企業も対岸の火事として傍観するのではなく、こうした動きを注視しておくべきでしょう。
(文=大谷 俊/アナリスト)