『あの日』小保方晴子・講談社・1400円
去年オレが批判した『絶歌』(太田出版)著者の神戸連続児童殺傷事件の元少年Aでも同じことがいえる。大騒動を起こした人物は、その後手記を出せばとりあえずの数千万円を稼げる、というビジネスモデルをさらに確立したという意味で、本書は実に画期的である。元少年Aは犯罪者であり、本書の著者はそうではないという違いはあるが、26万部もこの本は売れたのですか。実に喜ばしいことであります。誰にとってかといえば、講談社にとって、ですね。小保方さんの一生にとってはどうかは知りません。良い企画つくりましたね。
本書の読み解き方については、小学館から3月4日に発売された国際情報誌「SAPIO」で1.5ページにわたってオレは答えているので、当サイトのこの書籍紹介連載では、『あの日』を一冊読むにあたり、オレが付箋を貼り、ハイライトをした部分を一部紹介しよう。本書のエッセンスとツッコミポイントをどうぞ。
本書をめぐって「SAPIO」では「宗教書」(小保方氏を信じる人にとっては「ついに教祖様が肉声を出してくださいました!」という意味合いのもの)と、北野武監督映画『アウトレイジ』的な作品である、と述べた。前者は想像しやすいだろうが、後者は説明が必要だな。
『アウトレイジ』のコピーは「全員悪人」だが、『あの日』については『(登場人物)ほぼ全員悪人』である。善人として登場するのは、ハーバードの関係者、理化学研究所の丹羽仁史氏、亡くなった笹井芳樹氏、マスコミから逃げるのを手助けしてくれた理研の事務方、心配してくれたタクシー運転手、あとは小保方氏の家族(特に祖母)程度で、そのほかはほぼ全員が悪人として描かれている。
こうした前提を元にオレがハイライトした部分を紹介する。で、小保方氏を擁護する方々に言いたいのは、「またマスゴミが不当な叩きをしている」と簡単に断定するな、ということである。今回の『あの日』はモノカキとして小保方氏が書いたものであり、それは我々のような書評を仕事にしている者の批評に晒されるのは当然のことである。これはオレの同書への解釈だ。それでは引用開始。
天ぷら屋での接待の際、酔っ払って意識がうつろな中…
<「はるさん、帰るよ!」大和先生の声が聞こえた。私は返事の代わりに「先生、私、アメリカに行きたいです」と言うと、それを聞いた男の人が名刺を渡してくれた。そして「本当に来たいならメールして」と言ってくれた。これがハーバード大学の小島宏司先生との出会いだった>
――羨ましい! チャンスってあるものですね!
ハーバードのあるボストン到着!
<入国審査の際、滞在の目的を問われ「ハーバードに留学しに来た」と答えるのは誇らしかった。ボストンの空港には小島先生が迎えに来てくれた。小島先生のお顔をしっかり覚えていなくて不安だったが、よく日焼けした陽気な笑顔で迎えてくれ、長旅の緊張がほぐれた>
――入国審査では「留学」だけでいいでしょうに、「ハーバード」ってわざわざ言うんですね。あとは、繋いでくれた恩人の顔をあまり覚えていないことをいちいち書くのってどういうこと?
ハーバード大学、バカンティ教授の前でのプレゼン
<発表を終えると、バカンティ先生は目をつむりながら両手で固くこぶしを作った後、目を見開き「過去15年間で最高のプレゼンテーションだった」と満面の笑みで大げさに褒めてくださった>
――ボジョレー・ヌーボーみたいだな。
若山照彦氏とのキメラ実験について
<移植用の偽妊娠したお母さんマウスを用意してくださっていた>
――「お母さんマウス」という表現がポエム的かつ幼稚。あと、同書で後に徹底的に批判の対象となる若山氏の行動にはいちいち「くださり」「くださって」「○○していただいた」という丁寧すぎる表現が並び、後の批判を和らげようとする策士ぶりを感じる。
博士論文執筆にあたって
<日本を去るまでにすべて行わなければならず、残っていた多くの実験も懸命にこなした。博士論文は実験から帰ったのちに、病床の母の隣で徹夜で書いた。2011年1月4日が副査の先生たちへの提出日であったので、正月返上で博士論文を仕上げた。学生時代の最終成果として最新のデータもとりあえずすべて盛り込んだ>
――高校生とか大学生がやりがちな「徹夜自慢」とか「がんばる私」アピールがすごいですね。ただし、その論文に不正があったとその後審査されました。小保方氏は一貫して「早稲田にハメられた」といった主張を本書ではしています。
まぁこれ以上引用してもどうしようもないので、あとは本書を買って確認していただきたいのだが、基本的にここまで引用した部分で言えることは、「ラッキー」「自己顕示欲が強い」「自分の能力に自信がある」「苦労や努力を認めてもらいたいと考える」「悪いのは他人」、でも「恩知らず」(小島氏の顔を忘れている点)といったところではないだろうか。
本書は異例ともいえるほど論評されることが多かった書籍なので、オレも今回正直取り上げるのは躊躇した。だが、他の書評を読むと、本書に論評が研究分野等における核心が書かれていないことや、若山氏を悪人扱いしていることや自己弁護に終始していることについての言及が多かった。よって、オレはやや異なる観点というか、枝葉末節的なところから小保方氏という人物像を本稿で書いてみたくなったのだ。
彼女のことを信じる人にとっては、理研、早稲田大学、マスコミ、そして日本社会がいかに腐っているかを知れ、本書は最良の社会分析書となるだろう。本当に怪傑ズバットだか遠山の金さんのごとく、日本と研究界隈に巣食う悪をバッサバッサと告発し、そこに抗う無力な現代のジャンヌ・ダルクがいかに報われないかという『おしん』的ストーリーも網羅された超絶スペクタクル作品に仕上がっている。
だから、「小保方さんのことを信じてるんだったら読んだほうがいいんじゃないの?」ぐらいしか論ずることはない。オレ自身の感想としては、「もう無駄なあがきはやめろ」ぐらいにしか思わず、なんの感慨もなく本書を読んだ。いや、自分を貶めた様々な人への静かなる怨念を感じ、そこら辺には心を打たれた。ただし、オレとしては小保方氏のこの一言には「よくぞここまで言えたな!」と思った。P.183だ。
<2014年の間に私の載った記事は一体いくつあっただろうか。そしてその中に真実が書かれた記事は果たしていくつあっただろうか>
あのさ、マスコミ関係者、これにもっと反論していいんじゃないの? オレらほぼ全員が「捏造野郎」扱いされているんだよ。ここでは「捏造」とかは書いていないけど「真実が書かれた記事は果たしていくつあっただろうか」の一言は、どう考えても「多かった」とは読み取れないよな。「とんでもなく少なかった」と解釈できるよな。
つまり、小保方氏は今回の手記により、日本のマスコミ全体を批判する闘士としての人生を開始したとも解釈できる。ついに反撃の狼煙は上がった! さぁ、オレらはこれにどう対峙すべきなの? 『捏造の科学者 STAP細胞事件』(文藝春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した毎日新聞の須田桃子記者もこの「捏造集団」のひとり扱い。大宅賞もインチキ賞扱いするこの小保方無双っぷり、このままでホントいいのかね?
(文=中川淳一郎/編集者)