貧困の当事者のためだけではなく、経済全体を見通して最低賃金アップが必要との姿勢を強く打ち出すことで、普遍的な運動にしようとしているのです。貧民を守れ、学生を助けようという「支援」や「憐憫」ではなく、「これをしなければ社会全体がもたない」という訴え方が、エキタスの特徴だと思います。
債務者としての学生にのしかかる重荷
ただし、やはり最低賃金アップの運動の背景には階級対立があります。ただ格差が広がっているという話ではなく、階級とは支配関係の問題です。今日では、債権者と債務者の関係として理解するとよいでしょう。
たとえば、イタリア哲学者のマウリツィオ・ラッツァラートは、資本主義を理解するうえでの基本概念として、借金の問題を取り上げています。日本でこの問題をもっとも厳しいかたちで経験しているひとつの集団が、大学生ではないかと思うのです。
負債の問題と密接に関係しているのは、労働を通して感情的な側面も含めた自己実現を達成することが望ましいとされる、昨今の風潮です。今は接客業、看護師、苦情処理、介護士、広報などの職種だけでなく、ほとんどの仕事にコミュニケーション能力を中心とする感情労働が求められています。
一定時間働いて、「成果を出してくれればそれでいいよ」というわけではなく、「キャリアで自己実現しなさい」ということも要求される。会社にも積極性を求められるし、メディアでも、それが価値の高い生き方なのだと喧伝される。
今日の学生は、「君たちはフレキシブルなコミュニケーションを身につけて自己実現を準備しなければならない」「生き甲斐のある働き方を見つけないと、これからの流動化した時代には適応できない」と教育されます。
そして、それを実現しないと奨学金を返せないとなるわけです。このように、出発点に立つために借金を負わされることと、個人の内面や人格の部分まで労働市場にあらかじめ収奪されることがセットになっているのです。
「君たちは一生、個性や積極性を発揮することによって、自分を見つけだし、生き甲斐のある仕事を見つけだし、コミュニケーションし、新しい価値を創出していくことによって貢献していかなければならない。そうでなかったら、死ぬ」と言われているような感覚があります。
これは、借金の担保に、モノではなく学生自身が入れられているようなものです。「自分が大切なんだ。自分を発見しなさい。君たちのオンリーワンの個性をもって、フレキシブルに創造的に生きて行こう」と勧めているのです。