今のカメラの性能は、この当時に比べ、はるかに解像度が高く、容易に個人識別ができる。プライバシー侵害の可能性も高くなった。今回の大分県警別府署が設置したカメラは、夜でも人の顔まで識別できる高性能のもので、映された本人が8月4日付毎日新聞web版で「玄関を出入りする自分の顔もはっきりわかった。驚いたし、不気味だった」と述べている。
大阪府警のカメラに関する最高裁判決に先立つこと29年。1969年12月に最高裁大法廷は、京都府学連デモ事件の判決で、警察による写真撮影に関して重要な判断を行っている。個人の尊重や幸福追求権を規定した憲法13条は、「国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定している」とし、そうした自由のひとつとして、「承諾なしに、みだりに容貌・姿態を撮影されない自由を有する」と認定したのだ。これは、警察などの権力機関による私人の撮影に関する、今も生きる大原則である。
最高裁は、例外的に認められるのは、
(1)現に犯罪が行われ、もしくは行われたのち間がないと認められる場合であって、
(2)しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、
(3)かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつて行なわれるとき
という厳しい条件をつけた。
そして、裁判となった事件においては、デモ隊が許可条件に反する動きをしていたことから、(1)~(3)の条件を満たすとして警察が撮影したことは憲法違反ではないと認定した。
しかし、最近はどうだろうか。首相官邸前や国会前で行われているデモを始め、さまざまなデモで、特に違法行為があるわけでもないのに、警察など公安当局が参加者の「容貌・姿態」を写真やビデオに収める光景が常態化している。
また、警察は雑踏警備などの目的で、全国各地の繁華街や警備に必要とされる場所に監視カメラを設置している。その場所のみならず、設置台数すら公表されていない。
“テロ対策”を名目に進む監視社会
警察だけではない。監視カメラは、防犯やトラブル発生時の対策を目的に、さまざまな公的機関や民間企業、自治会なども設置を進めている。カメラ設置に補助をしている自治体も多い。今や町中や鉄道の駅などには、至る所にカメラが付けられている状態だが、いったい全国でどれほどのカメラがあるのか、こちらも概数さえ明らかでない。設置や運用に関して共通するルールがあるわけでもない。
そんななか、東京オリンピックに向けて、テロ対策を名目に、ますますカメラの設置は進み、人々への監視は強化されるに違いない。