第11管区海上保安本部は、航空危険行為処罰法違反容疑での捜査に着手し、米軍に捜査協力を申し入れたが、米軍はこの要請に回答しないまま、証拠となる機体の回収作業を実施した。11管の調査は目視での状況確認や写真撮影にとどまったという。
日本側が主体的に原因究明を行えないのは、日米地位協定が壁になっているためだ。協定17条(刑事裁判権)についての合意文書には、こう書かれている。
「日本国の当局は……所在地のいかんを問わず合衆国軍隊の財産について、捜索、差押え又は検証を行なう権利を行使しない」
日本が要請し、米軍が同意した場合は、例外的に捜索、差し押さえを行うことができるとしているが、米軍は日本の要請を無視。大破したオスプレイの機体も、米軍の「財産」だとして、日本側には触れさせなかったのだ。
これで思い出すのが、04年に米海兵隊所属のヘリCH-53Dが沖縄国際大学に墜落した事故だ。機体が大学1号館にぶつかって炎上したため、宜野湾市の消防が消火活動を行ったが、鎮火後、米軍はすぐに消防を立ち退かせ、事故現場を封鎖。宜野湾市長や大学学長を含め、日本の当局や大学関係者は一切立ち入ることができなかった。このときも、沖縄県警が米軍に対し合同の現場検証の実施を求めたが、米側は受け入れなかった。墜落現場周辺の立木を、米軍は大学の許可を得ずに勝手に伐採し、墜落機及び現場周辺土壌を回収して基地に持ち帰った。
しかも、事故から9日には、事故原因もわかっていないのに同型ヘリの飛行を再開させた。そんななか、在日米軍トップのトーマス・ワスコー司令官が、「人のいないところにヘリを持っていったのは、素晴らしい功績」と乗員をほめ称えて、沖縄の人たちの怒りをさらにかき立てた。
ヘリの乗員3名は重傷を負ったが、民間人の死傷者はなかった。しかし、大学や破片が飛散した周囲の民家、車などが被害に遭い、合計2億5000万円の損害賠償は日本政府が行った。
なお、事故原因については、米軍の調査でボルトが脱落して後部の回転翼が操縦不能に陥ったためとされた。日米合同委員会は、事故機に限って起きた整備ミスが原因と結論づけた。
この事故から今回のオスプレイ事故に至るまでの間に、特定秘密保護法が制定され、事故原因調査の過程で機体の軍事機密などに触れたとしても、日本側から漏れることのないような法整備もされたはずなのに、米側の対応はまったく変わっていないように見える。消火活動や乗員の捜索に日本の消防や海上保安庁、自衛隊などの協力を求めるが、こと原因究明になると日本の機関にかかわらせない。
オスプレイの事故原因については、沖縄米軍トップのニコルソン四軍調整官が記者会見で、空中給油の訓練中に給油ホースが切れオスプレイのプロペラに当たり損傷したことが事故の原因と説明した。しかし、なぜそのような事態に至ったのかなどは不明で、原因解明とはほど遠い状態だ。
それにもかかわらず、米軍はオスプレイの飛行停止措置を事故から6日後の19日には解除したい方針を日本政府に伝えた。さすがに、日本政府は難色を示したようだが、結局押し切られ飛行再開となった。