映画のパンフレットに載っているポートレートを見たとき、「いい顔をしているな」と思った。爽やかというか穏やかというか。歴史的かつ重苦しい体験を経た女性にしては、あまりにも普通であることに軽い衝撃を受けた。
この写真の女性こそ、イラク戦争開戦前夜に英諜報機関に勤務し、米英両政府が共謀して国連安全保障理事会メンバーを盗聴しようとしていることをリークしたキャサリン・ガン氏である。
その事実が暴露されたことで、米英政府による国連安保理加盟諸国に対する重大な背信行為が明らかになり、どんな手を使ってもイラク侵略にこぎつけたいと米政府が画策し、英政府(ブレア政権)が唯々諾々と従っていることが世界中に示された。
8月28日公開の映画『オフィシャル・シークレット』(東北新社、STAR CHANNEL MOVIES)は、勇気ある告発者、キャサリン・ガン氏の実話を描いた作品だ。
この作品を森友事件関係者、加計学園事件関係者、公文書改ざん者、裁判官、警察官、検察官などの公務員、メディア関係者に観てもらいたい。
アメリカが盗聴要請のメールを送信
英国で生まれ、台湾で育ち、日本の広島で英語の教師をしていたこともあるキャサリン(主演:キーラ・ナイトレイ)は、望んでいた言語学者としての職がなく、英諜報機関GCHQ(政府通信本部)に翻訳分析官としての職を得る。
2003年1月31日、いつものように政府通信本部の暗い部屋で職員たちは、パソコンに向かって黙々と仕事をしていた。
パソコンを開いてメールをチェックしていたキャサリンは、米NSA(国家安全保障局)からのメールの内容に驚愕する。
当時米国は、大量破壊兵器がイラク国内に存在すると宣伝してイラク攻撃をしたがっていたが、多くの国は反対していた。その状況を打開しイラク侵略を認めさせるために、国連安全保障理事国の各代表を盗聴しろという内容で、いわば戦争を起こすための盗聴である。
メールを見たキャサリンは、迷いにまよった末、元同僚の友人に知らせる。第三者を介して、そのメールのコピーはオブザーバー紙の記者に渡り、そのスクープは1面トップを飾る。
コピーを受け取ったオブザーバー紙の記者たちは、まずメールが本物かどうかの情報収集にあたる。ガセネタだったら記者は失職、新聞社は潰れるほどのダメージを受け、関係者は逮捕されるだろう。失敗は許されない。
そこで記者たちは英諜報機関MI6関係者に接触するなど、メールの真偽を判断するための取材に奔走する。
米NSAへの取材では、メール送信者であるフランク・コーザなる人物は「存在しない」という。しかし彼らはあきらめず、米支局員の情報源を通して追及した結果、フランク・コーザは実在し、本人と電話で話すところまでこぎつける。その結果、記事化された。
一番、苦しく葛藤し、不安に陥ったのはキャサリン本人だろうが、取材し記事を書いた記者や編集者たちも、冷や汗をかきながら緊張の連続だったに違いない。
3月のヨークシャーの撮影だから、まだ冬景色である。青空が見える場面はあっても、光の色が淡い。スクリーン全体の暗い色調が不安と緊張を増幅させ、サスペンスタッチを際立たせている
「私は政府に仕えているのではない」
オブザーバー紙の記事が出ると、GCHQは大変な騒ぎになり、組織内での取り調べが始まる。同僚が執拗に調べられるのを見て、キャサリンは耐えられず「自分がやりました」と自白する。ただちに「公務秘密法」違反の疑いで逮捕された。
逮捕されて取り調べが始まったが、この場面も映画の見せ所である。
刑事「あなたは政府に仕えているんだろう?」
キャサリン「いいえ、私は国民(British People)に仕えています。政府は変わるが、国民は変わらない」
国民を「人々、民衆、人民」などに置き換えることも可能だろう。そしてキャサリンは、こうも言う。
「テロを防ぐためなら盗聴もする。しかしこの件は、戦争を引き起こすための盗聴です」
いったん釈放されたキャサリンは、辣腕弁護士のベン・エマーソン(レイフ・ファインズ)らに依頼して裁判に備える。
本人が自白しているのですぐに起訴されるかと思えば、何もないまま一日一日をキャサリンは不安と焦燥に駆られて過ごしていた。
ある日、エマーソン弁護士を旧知の公訴局長であるケン・マクドナルドが訪ね、キャサリンを告訴すると告げた。
そのときマクドナルド公訴局長は、「俺たちは友だちだろ?」とエマーソン弁護士に問いかけたが、弁護士は顔を見ただけで答えなかった。
英国の公務秘密法と日本の特定秘密保護法は政府を守るためにある
国家を相手にするのだから、裁判になったら弁護側は相当な苦戦を強いられるのは必至だ。弁護士が、この事件の本質を指摘する場面がある。
「1989年以降、公務秘密法で政府は守られている。リークで人々は守られる」
つまり、キャサリンが起訴される根拠となる公務秘密法は政府を守り、マスコミを通して不正行為を人々に知らせるリークは、まさしく公益通報であり、人民を守るということである。
実は、筆者がこの映画に強い興味を持つのは、日本でも2013年12月、政府を助け国民に重大な不利益をもたらす特定秘密保護法という法律が制定されたことに対し、その差し止めと損害賠償、憲法違反の認定を求めて国を訴える裁判を起こしたからである。
結果は、東京地裁で敗訴、東京高裁で敗訴を経て2017年2月、最高裁は上告を棄却した。
自由を奪う法律は、こればかりではない。
・盗聴法拡大(刑事訴訟法の一部を改正する法律)成立2016年5月。
・共謀罪成立2017年6月。
どこの国も基本的には同じである。だが、日本に比べてイギリスのほうが司法の独立性が高く、ジャーナリズムも機能している点が救いである。
アガサ・クリスティーの『検察側の証人』を思わすクライマックス
そして2004年2月25日、ロンドンの中央刑事裁判所で第1回公判を迎えた。公判の冒頭、1989年公務秘密法第一条一項目違反を認めるかの「罪状認否」があった。
キャサリンは「認めません(Not Guilty)」と否認した。
本来なら、ここから検察官が冒頭陳述を始めて本格的な審理に入るが、事実は小説より奇なり。思いもよらぬ展開が待ち受けていたのである。
このあたりは、裁判で大どんでん返しが起きるアガサ・クリスティーの『検察側の証人』を彷彿とさせる。
裁判所でのクライマックスが過ぎて、映画はラストシーンになる。海岸で釣りをするベン・エマーソン弁護士。
公訴局長で旧知のケン・マクドナルドが釣り道具を持って近づいていく。そして「起訴を決めたのは俺じゃない、司法長官の決定に従ったまでだ」とつぶやいた。
ところで、本人が自白し、行った事実は明白だから、普通ならすぐに起訴され有罪になる可能性が高い。ところが、オブザーバー紙に記事が出てから公判が開かれるまでに、約1年を要した。そのことについて、ベンが「なぜ1年間も起訴せずに彼女を生殺しにしたんだ?」と聞くと、ケンは「そうしないと、見せしめにならないだろう」と答える。
長いこと当局はキャサリンを尾行するなど威嚇はしたが、なかなか起訴しなかった。それは、本人の不安を増幅させ苦しめるためであると同時に、社会への見せしめだったのである。
ベンが静かに言った。
「ケン、悪いがよそで釣ってくれ」
~エンドロール~
海辺での最後のシーンが、私はとても気に入っている。
(文=林克明/ジャーナリスト)
『オフィシャル・シークレット』
8月28日、TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
配給:東北新社 STAR CHANNEL MOVIES
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