福島からの避難・転校後、いじめが始まる
現在中学1年生になるA君へのいじめは、福島第1原発の事故の直後、横浜市に避難してきた小学2年生の時から始まっている。小学6年生の時にA君が記した手記には、「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」と綴っている。A君の代理人弁護士が、昨年11月15日に発表した生徒の手記である。
第三者委員会の報告によると、A君へのいじめは、小2で福島から避難し、転校してきた直後から始まり、小3の4カ月間不登校になる。学校に通い始めたのち、小4になると再び教科書や鍵盤ハーモニカなどを隠されるいじめを受け、担任に相談するが、「ないなら買うしかない」「忙しいから後で」と言われ、相手にされなかった。
さらに小5になると、同級生の十数人から「震災の賠償金があるでしょう」と、ゲームセンターなどの遊興費を求められ、加害者生徒からお金を巻き上げられる。わずかな保障金や親戚などから借りたお金をA君が持ち出し、回を重ねるうちに足りなくなって父親の財布に手を出し見つかった。
父親が学校や保護者に相談し問題化し、PTAにも相談し、保護者会を開くべきという声もあったが、開かれなかった。同級生は聞き取りに対して、「おごってもらった」と話し、学校側は、「お金が絡んでいるので警察に相談してください」「物は隠されたのではなく管理の問題」と話す。
A君は、再び不登校になり卒業まで続く。父親は、同級生の保護者らと話し合った後に、小6の15年12月26日、市教委に調査依頼。16年1月5日、市教委は第三者委員会に依頼し、約10カ月後の11月2日、第三者委員会は報告書を提出し、そのなかでいじめの事実を認めた。しかし、A君はすでに中学1年生になり、今はフリースクールに通っている。
いじめの事実は認めたが
第三者委員会の報告は、A君の代理人がこのいじめ問題を発表する記者会見で、ごく一部を資料として配り、その後、横浜市は市議会議員に26ページにわたる同報告書を配布した。報告書は、いじめの事実について「転校してきた小学2年生や再登校を始めた4年生の時期に、『○○菌』と呼ばれたり、鉛筆を折られたり、ノートがなくなったり、蹴られたり、ものさしで叩かれたり、階段で落とされそうになることを『いじめ』があった」と認めている。