2016年7月に天皇陛下が生前退位のご意向を示されてから、にわかに話題にのぼっているのが「元号」だ。我が国は明治以来、天皇一世一元制を採用しているため、天皇の交代はそのまま元号が改まることを意味する。
ところで、そもそも元号とはなんだろうか? 通説では、紀元前115年頃の古代中国、前漢の武帝が「建元」という元号を定めたのが始まりとされる。
発案者の名は詳らかでないが、権力者がその治世を記号的に表すというアイデアは、当時の中国の影響下にあった周辺地域(冊封国)へと広まり、やがてそれぞれの王朝が独自の年号を用いるようになっていった。
元号は、かつては朝鮮半島でも用いられていたし、安南(ベトナム)も使っていた時期がある。古代日本も、そんな国のひとつだった。ただ、現在は“本家”の中国でも元号は使われておらず、韓国やベトナムでも使用されていない。日本は現在、世界で唯一の元号使用国ということになる。
元日改元なら1200年ぶり…過去には一度だけ
現行の「皇室典範」は、天皇の終身在位を基本としている。そもそも生前退位は想定されていなかったため、陛下のご意向を受けた政府は迅速な対応を求められた。報道によれば、新天皇に位を譲られた後の称号は「上皇」となるようだ。また、権威の二重化を防ぐために、国事行為などをすべて新天皇に譲る方針も決まったという。
おそらく、事前に新元号名を公表した後、2019年元日に新天皇即位に伴う儀式を行い、同日から新元号を用いる公算が高い。その背景には、国民生活への影響を最小限にとどめるには元日の譲位・改元が望ましい、という政府側の思惑が透けて見える。
昭和から平成に改元されたときは、昭和天皇崩御の翌日にいきなり「平成」という新元号名が示されたため、世上は混乱をきたした。当時の小渕恵三官房長官が、記者会見で「平成」と墨書きされた奉書紙が収められた額縁をかざして見せたシーンを覚えている人も多いだろう。
ところで、長い日本の歴史のなかでも、元日に改元されたことはこれまで一度しかない。奈良時代後期の781年に伊勢斎宮に美しい雲が現れたことが吉兆とされ、それまでの「宝亀」から「天応」に改元されたのが、唯一の元日改元なのだ。今回、ポスト平成の新元号が元日改元となれば、およそ1200年ぶりで史上二度目ということになる。
「明治」の元号は天皇自らのくじ引きで決まった
我が国初の元号は、西暦645年の「大化」である。その後は、一時的に元号のない時期もあったが、西暦701年の「大宝」から「平成」まで、1300年以上にわたって続いている。
大化から平成までの元号数は合計247。我々は、元号といえば「漢字2文字」と思いがちだが、実は四字熟語の元号名が5つある。「天平感宝」「天平勝宝」「天平宝字」「天平神護」「天平景雲」だ。必ずしも2字熟語にしなければならない、というルールがあるわけでもないらしい。
先に述べたように、天皇1人につき元号ひとつという天皇一世一元制が定められたのは明治からである。それまでは、同じ天皇の在位中に改元されることが珍しくなかった。
たとえば、江戸時代最後の天皇・孝明帝は、在位20年の間に「嘉永」「安政」「万延」「文久」「元治」「慶應」と6つもの元号を用いている。改元の理由は、天変地異によって飢餓が発生したり大地震や大火が起きたりと、さまざまだ。あるいは、疫病の流行があったときも改元は実施された。
元号を改めるということは、それまでの厄災を振り切って新たな時代を切り拓くという意味がある。なんとなく、日本人のメンタルに今なお息づく、“水に流して忘れよう”的な意味合いを感じなくもない。
さて、数ある元号の中でたったひとつ、くじ引きで決まった元号があることをご存じだろうか。東京・明治神宮のホームページには、次のような文言がある。
「『明治』の元号もいくつかの候補の中から明治天皇さまがくじを引いてお選びになられたのでした」
慶應4年9月7日の夜、前越前藩主・松平慶永(まつだいら・よしなが)が考案したいくつかの元号案をくじにして、天皇自らが賢所(かしこどころ)で抽籤(ちゅうせん)、その結果「明治」を引き当てたという。
古来、日本ではくじは神の意思を問うための大切な神事とされており、古代には盛んに行われていた。おそらく、王政復古の大号令によって重要な物事をくじで決めていた古代の風習に立ち返り、くじ引きが採用されたのだろう。くじ引きによって新元号が決定されたのは、後にも先にもこの一度きりだ。
「昭和」を生んだのは大スクープ?世紀の誤報?
誰しも気になることといえば、新元号の名称ではないだろうか。しかし、新元号の選定は完全なブラックボックスで行われるので、発表前に知るのはほぼ不可能だ。ただ、逆算的にある程度類推することはできなくもない。
まずは、過去に使用例のない漢字の組み合わせであること。一度使用された元号は二度と使われることはない。過去に中国の王朝やアジアで使用された例があってもいけないし、企業名、人名、地名、商標、店の屋号などにも重複がないか、厳しいチェックが行われる。
また、元号をアルファベットの頭文字で表記する習慣があることを考えると、明治の「M」、大正の「T」、昭和の「S」、平成の「H」が頭文字となる元号名は外される可能性が高い。
新元号にまつわる、おもしろいエピソードがある。昭和から平成に変わる直前のことだ。新元号をスクープしようとした某新聞社の政治部員が、大化から平成まで歴代の元号に使用された文字と、過去に候補とされた漢字を組み合わせて一覧表をつくり、当時の小渕官房長官に見せたことがある。その中には「平成」もあったため、後に小渕氏は「あのときは心臓が止まりそうになった」と語っている。
はたして、来年発表される新元号名は何になるのだろう。インターネット上では、早くも予測する動きが見られるが、我々が推理した新元号名を出せば出すほど、それは候補から外されていく可能性が高い。
過去には、大正から昭和に改元される直前の「光文事件」がある。大正天皇崩御直後に東京日日新聞が「元号制定『光文』と決定」と報じたが、実際に発表された元号は「昭和」だったため、世紀の大スクープのはずが一転して歴史的大誤報となってしまったのだ。真相をめぐっては諸説あるが、事前に報道されてしまったために急遽、次点扱いだった「昭和」が正式採用されたともいわれる。
「平成」の次に来る新元号は、18年8月頃に発表予定である。
(文=青木康洋/歴史ライター)