CIA文書の本文では、ウォーレン委員会の調査結果を批判する書籍や記事が相次ぎ、ジョンソン大統領の関与をほのめかす見方まで出ていることに懸念を示す。そのうえで文書の狙いを次のように記す。
「陰謀論はしばしば我々の組織<=CIA>に疑いを投げかけてきた。たとえば、<ケネディ狙撃犯とされる>リー・ハーヴェイ・オズワルドが我々のために働いたという虚偽の主張によってである。本文書の目的は、陰謀論者の主張に反撃し、その信用を貶める素材を提供し、そのような主張が他国に広まるのを阻止することである」
それまで日常会話で使われることのなかった「陰謀論」「陰謀論者」という言葉が登場している。「その信用を貶める」という語から、CIAがこれらの言葉に最初から悪いイメージを植えつけようとしたことがわかる。
CIA文書は続けて、具体的なプロパガンダ手法を指南する。「CIAに親しい人々に相手の主張を攻撃させる」「目撃者の証言は信用できないと主張する」「憶測は無責任だと主張する」「金銭的利益から陰謀論を広めていると非難する」などである。
CIAと一部ジャーナリストの癒着を物語る、次のような生々しい記述もある。「広報問題について、<判読不明>や親しいエリート接触者(とくに政治家と編集者)と協議すること」「プロパガンダ人脈を活用し、批判者の攻撃<を無効とし>反論すること。書評と特集記事はこの目的にとくにふさわしい」
陰謀論を貶めるCIAの秘密工作は米国内だけでなく、海外の人々もターゲットにしていた。もちろんそこから同盟国である日本を除外して考える理由はない。
ケネディ暗殺とプロパガンダ作戦
ここで、陰謀論という言葉がいつからメディアに頻繁に登場するようになったのかをみてみよう。ウォーレン委員会が報告書を公表した1964年、ニューヨーク・タイムズ紙は「陰謀論」という言葉を含む記事を5本掲載した。その後、記事数は急増し、最近は年間140本を超す。一方、タイム誌でも1965年に初めてこの言葉を含む記事が載って以降、じわじわと増加している。これらの動きがCIAの工作と無縁とは思えない。
ちなみにタイム誌に初めて載った記事というのは、ケネディ大統領の側近だった歴史家アーサー・シュレシンジャーに関するカバーストーリーで、シュレシンジャーは陰謀論に否定的だと伝えている。第一号の記事からして陰謀論は否定の対象とされていたわけである。
CIAが陰謀論で主張されるようにケネディ暗殺そのものに関与したかどうかは、わからない。しかし陰謀論に対抗したプロパガンダ作戦が行われたことは事実であり、一定の効果をもたらしたことは間違いないだろう。
今日、陰謀論というだけでそれを嘲りの的にする人は、一度よく考えてみたほうがよい。陰謀論に対するそうした感情的な反応は、情報機関の巧みな工作に影響されたものかもしれない。
(文=筈井利人/経済ジャーナリスト)
●主要参照文献(日本語文献は本文中に記載)
deHaven-Smith, Lance, Conspiracy Theory in America. Austin, Texas: University of Texas Press, 2013